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庵<ラ・タンタション>(1991~93年) |
京都国立近代美術館は、これまで麻田 浩(1931-1997)の大作《地・洪水のあと》(1985-86)や、パリ滞在時に開催された個展の出品作《赤い土の上の出来事
’76》(1976)など油彩の代表作に加え、銅版画作品14点を収蔵し、麻田の心象風景と称される独自の作風の形成について高い評価を与えてまいりました。ことし没後10年を迎えるにあたり、最初期の習作から未完の絶筆まで、画業の全容を網羅した回顧展を企画して、はじめてその足跡を紹介しながら、麻田芸術再考の場といたします。
麻田 浩は、日本画家・麻田辨自の次男として京都市に生まれました。兄も、日本画の道を歩んだ麻田鷹司で、麻田 浩は同志社大学経済学部在学中、当時の新制作協会の新鋭・桑田道夫に師事し、
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御滝図<兄に>(1990年)
東京オペラシティアートギャラリー蔵 |
1954年23歳で同協会展に初入選を果たします。1963年、はじめての個展開催を機に31歳で画業に専念することを決意し、この年、父・兄とともにヨーロッパを旅しました。帰国後は、京都国立近代美術館の「現代美術の動向 絵画と彫塑」展(1965年)にも、重厚なマチエールによるアンフォルメル作品を出品するなど、1950年代から60年代にいたる初期の時代には非具象表現を追求し、さらには人体をモチーフとしたイメージによる絵画世界を模索してゆきます。1967年には京展で須田賞を受賞、翌年新制作協会会員となりました。
1971年、再度渡欧した麻田はパリにアトリエを構え、滞在は11年におよんで、この間、ヨーロッパの古典絵画から決定的な影響を受け、写実的技法を駆使しつつも、現代という時代に潜む不安感を示すかのような「原風景」「原都市」と題された一連の心象世界を開拓、同時に着手した銅版画とともに、国内外で高い評価を獲得しました。フランスをはじめ、ベルギーやドイツ、ニューヨークなどでも個展が開催されるほか、海外の展覧会での受賞歴も多く、帰国後はこうした顕著な活動が認められ、1983年には京都市立芸術大学教授となり、1995年に京都市並びに京都府の文化功労賞に選ばれ、さらには第13回宮本三郎記念賞も受賞しました。けれども、残念ながら、1997年京都市龍安寺のアトリエで、自ら命を絶ちました。 |