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第99回 京都丹後鉄道(WILLER TRAINS) 2017年3月25日(土)放送 (BSジャパン3月30日(木)放送)

第99回 京都丹後鉄道(WILLER TRAINS)

2017年3月25日(土)放送

(BSジャパン3月30日(木)放送)

ローカル鉄道の再建を任されたのがバス会社。同じ移動交通手段だが、ノウハウの全く違う鉄道運営をバス会社が担えるのか?という不安が当初あったという。2015年春、高速バスを運営するウィラーグループの鉄道部門としてウィラー・トレインズが誕生し、京都丹後鉄道の挑戦が始まった。

まず、彼らが取り組んだのは、観光列車のサービス向上。あおまつ号、あかまつ号、くろまつ号、それぞれサービス、料理を変えて、様々な料金体系をつくった。「飛行機で言う、ファースト、ビジネス、エコノミーといったクラス分けをして、幅広い客のニーズに応えようと思った」と日本航空出身の寒竹聖一常務は言う。

それでも、各コースとも、地元の有名レストランと協力して、オリジナルのメニューを開発するなど独自の工夫をした。電車の中では、バスガイド同様のガイドサービスを車掌が行い、客を飽きさせない。担当する社員は若手が主力。現地で採用したインターン、Uターン組とバス会社の生え抜きが、斬新で楽しいサービスを提案し次々と実現していったのだ。

さらに、地元の人にも、観光客にも鉄道を利用してもらうためのサービスを提案。例えば、不便な駅にはレンタルサイクルを用意。人がいなくても利用できるようスマートフォンで、予約、決済、貸し出しがすべてできるようなソフトも独自に開発した。ネットでバスのチケットを売っているウィラーには、IT部門があり、この手のソフト開発はお手の物なのだ。これで、駅から歩くと遠い観光地も楽に回れる。

「鉄道は人を運ぶだけではダメ。乗る目的をつくるべき」。寒竹常務は、地域の魅力を掘り起こし、地域自体の価値を上げることが鉄道会社の目指すことだという。同社では、地元の起業家を育てるビジネススクールも開催し、地域一体となって地方創生につなげようとしている。

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京都丹後鉄道(WILLER TRAINS) (京都府宮津市)
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第98回 トライフ 2017年3月18日(土)放送 (BSジャパン3月23日(木)放送)

第98回 トライフ

2017年3月18日(土)放送

(BSジャパン3月23日(木)放送)

日本人の死因の第3位は肺炎。そのうち70%が口内の雑菌由来の嚥下性肺炎と言われている。十分に口腔ケアのできない介護を受ける高齢者に多く見られる病気だ。その病気予防に開発されたのが、飲み込んでも問題がない天然素材で作られた歯磨きジェルとマウススプレー。おから成分と梅エキスを配合したネオナイシンという物質で、胃の中に入ってもアミノ酸に分解されて無害なのだ。

作ったのは、横浜市のオーガニック化粧品の会社「トライフ」。手島大輔社長は、末期ガンの父の介護の際、抗がん剤で慢性的な口内炎に苦しむ父の姿を目の当たりにし、なんとかしてあげたいという思いからスタートしたという。彼は九州大学の研究者らと虫歯菌、歯周病菌を退治し、なおかつ食べても害のない成分をオーラルケア製品として開発したのだ。

トライフの凄いところは、製品のみならず、その製造方法、売り方にあった。実は手島社長は、その全ての工程を障がい者に任せるというビジネスモデルを築いたのだ。製造、梱包を障がい者の自立支援をするNPO法人に依頼。販売も同社がパートナー契約を結ぶ、障がい者施設に委託した。そこで、得られた利益は、障がい者の賃金に反映される仕組みだ。

「私の子供も障がい者。親になって初めて、障がい者がおかれた現状の厳しさに気がついた」と手島社長は言う。雇用契約を結んでいない就労支援B型の事業所で障がい者に支払われる賃金は、月額約1万5千円。彼は、この低賃金問題をなんとかしたかった。現在、トライフのビジネスモデルで、月収10万円を超える障がい者も出てきている。

さらに、手島社長は、製品で得た利益の一部を「親なき後問題」サポートの基金にしている。親なき後問題とは、障がい者の子供を介助する親が死亡したあとの問題。自らの子供が障がい者で他人事ではなかったという。

手島社長はこのビジネスを世界に広げるためにも動いていた。アメリカ、ドイツ、中国でもすでに計画はスタートしている。弱者が弱者を助けて自立する、新しい取り組みは世界からも熱い視線で迎えられているのだ。

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第97回 新潟精密鋳造 2017年3月11日(土)放送 (BSジャパン3月16日(木)放送)

第97回 新潟精密鋳造

2017年3月11日(土)放送

(BSジャパン3月16日(木)放送)

水なしで調理できるステンレス鋳物ホーロー鍋を世界で初めて開発した新潟精密鋳造(新潟県燕市)。2年前に売り出したこの鍋は、口コミで人気が広がり、生産が追いつかず、1ヶ月待ちの状況という。開発した同社は、産業用機械の部品などをつくる町工場。数年前までは、下請け専業だったが、リーマンショックで受注を大きく減らし自社ブランド開発へ舵を切った。

ところが、何をつくれば売れるのか全くわからない。自社ブランドを開発しようとする町工場が陥る問題に、同社も悩んでいた。そんなとき、創業者の息子で経営を任されている佐藤剛専務の妻のことばが、思わぬヒントになる。「忙しい主婦の手を煩わせない製品なら、絶地売れるはず」。それまで、鋳物ホーロー鍋は鉄製が主流、ほとんどフランス製の鍋が市場を占めていた。ところが鉄は錆びやすく、洗う手間が大変だった。

そこで、同社が得意とするロストワックスというロウを使った方法で、錆びにくいステンレスの鋳物で鍋を作ってみることにしたのだ。ここで大きな問題が立ちふさがった。鉄とステンレスは熱膨張率が違う。それまで使っていた釉薬は熱膨張率が鉄と同じだったが、それをステンレスに使うとホーローがはがれてしまうのだ。

ステンレスの配合、釉薬の塗り方を何度も試行錯誤しながら、試作品作りに明け暮れた。気がついたら2年間で失敗作が2,000以上あったという。このとき活躍したのが、鋳物工場では珍しい女性職人たち。ロストワックスによる鋳物製造は細かい手作業が必要で、根気もいる。女性に向いた仕事だったため同社の職人の3分の1は女性だったのだ。

さらに、開発、販売には専務の妻、姉などを中心に結成されたママさんチームが活躍する。主婦の目線で痒い所に手が届く便利な製品に仕上げ、可愛いデザインを施した。宣伝はSNSを使って口コミで広げた。製品だけでなく、調理法やレシピも同時に伝えるために実演販売もした。

この開発、販売担当のプロデュース部隊と工場の女性職人が次々と製品を改良して、ついに無水でIHでも調理できる鋳物ホーロー鍋の開発に至るのだ。精密鋳造できるロストワックスの技が、最大限生かされヒット製品は誕生した。

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第96回 今野製作所(ケルビム) 2017年2月25日(土)放送 (BSジャパン3月9日(木)放送)

第96回 今野製作所(ケルビム)

2017年2月25日(土)放送

(BSジャパン3月9日(木)放送)

ロードバイク、自転車ファンなら知らない人はいないというブランド・ケルビム。炭素鋼(鉄)にクロムとモリブデンを加えた合金「クロモリ」(クロムモリブデン鋼)のフレームで自転車をつくるビルダーだ。

客の体を細かく採寸し、ぴったりのサイズでオーダーメイドするのが特徴。完成車で4、50万円する高額にもかかわらず、数ヶ月待ちの人気だ。乗り心地の良さを追求する機能重視のモノづくりながら、細くて美しいフォルム、強くて長持ちする塗装や溶接など、そのクラフトマンシップは世界のトップビルダーに匹敵する。

軽量で勝るカーボンやアルミのフレームが台湾や中国で安く作られている中、同社は重い鉄のバイクにこだわり続けた。理由はクロモリが、カーボンより振動吸収性や耐久性に優れているからに他ならない。カーボンフレームが、金型から作られるのに対し、クロモリはチューブを溶接でつないで製造する。そこで駆使されるのが、親子で引き継いできた職人技だった。

カーボンバイクが主流を占め、注文が減る中、同社の今野真一社長は安い中国製、台湾製のカーボンバイクとの競争をやめた。それどころか、逆に最高の素材の組み合わせと一人一人に最適なサイズのオーダーメードに徹して高級化路線に踏み切る。高い完成車で100万円を超えるものもあるほど。これが、かつてクロモリの自転車に乗っていた大人たちの遊びココロを刺激。そこから評判は広がっていく。

工場を除くと、作っているのは若い職人たちばかり。今野真一社長は同社が半世紀以上かけて培ったフレームビルディングの奥義を数値化し、テキストを見れば作れるような職人養成システムを組んだのだ。そのため同社の門を職人志望の若者たちがくぐり、次々と独立していっている。

また、ハンドメイド自転車専門の学校では、講師も務め、ブランド「ケルビム」の技術を教えている。これもひとえに、自転車を楽しんでほしいという望みからだという。現在、社長はアメリカへの進出を始めている。技術革新に逆行するかに見える社長の鉄の自転車へのこだわりは、素材の良さをさらに深掘りし、今一度その良さを世界へ繋ごうとしているのだ。

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第95回 日本精機宝石工業 2017年2月18日(土)放送 (BSジャパン2月23日(木)放送)

第95回 日本精機宝石工業

2017年2月18日(土)放送

(BSジャパン2月23日(木)放送)

大阪から車で4時間、日本海に面した不便な田舎にその工場はあった。世界有数のレコード針メーカー「日本精機宝石工業」(兵庫県美方郡新温泉町)は、プレーヤーのメーカーごとに違う換え針を約2,200種類、1本の注文から作れるのが強み。

世界200カ国から注文を受け、年間18万本出荷している。ブランド名はJICO(JEWEL INDUSTRY Co.,LTD.)、社名の宝石工業にちなんで銘々された。「同じ針を100本、1,000本とまとめて注文されることはない。効率は悪いが、“欲しい人のために1本からつくる”ことを心掛けている。」仲川和志社長は、同社のモノづくりのポリシーをこう語った。

レコード針は、レコードから音の情報を読み取る針先、針が読み取った振動を電気信号に変えて伝えるカンチレバー、不要な音を制御するダンパーゴムなどから構成されている。その形状、材質などで表現出来る音が変わるため、客の求めるクオリティを維持するのは大変だ。だから、JICOの針はすべて手作業でつくられている。

カンチレバーの先にあけられた直径0.3ミリの穴にダイヤモンドが埋め込まれた針先を取り付ける作業は、根気を要するため、主に手先の器用な若い女性職人の仕事になっている。レバーには小さな磁石を埋め込まれる。レコードの溝から拾った振動を電気信号に変えるためだ。

ただ、これだけだと不要なノイズも拾ってしまうので、クッションのゴムで振動を制御して必要な音だけ再現するというわけ。メーカーによってカートリッジの寸法や形状が違うため、土台になる部品(ノブ)の金型は330種類もあるという。これが、レコード針づくり50年の財産だ。

JICOの凄いところは、需要が減り続けているレコード針の開発を続けてきたところ。年々、その技術は進歩しアナログの限界を超えると評価されている。「デジタルと違って、優しい音がする」「その曲が流行った時代を忠実に再現できるのはJICOだけ」等々、同社には世界200カ国のファンからサンクスレターがたくさん届いている。

デジタル全盛の時代にあってアナログにこだわり、幾度も廃業の危機を乗り越えながら面倒な道をいく。同社のモノづくりに決して追随するライバルがいないのもうなずける。番組では、新素材で最高級の針づくりに挑む同社の工場に密着、そのレベルの高さを証明していく。

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第94回 三陸とれたて市場 2017年2月4日(土)放送 (BSジャパン2月9日(木)放送)

第94回 三陸とれたて市場

2017年2月4日(土)放送

(BSジャパン2月9日(木)放送)

東日本大震災から6年。津波で壊滅的ダメージを受けた大船渡の漁業が理かつての賑わいを取り戻し始めていた。しかし、その形態は震災前とはまったく違う新しい漁業だった。

魚をブランド化し、量より質で勝負する最先端のスタイル。仕掛けたのは八木健一郎社長(40)率いる「三陸とれたて市場」(岩手県大船渡市)、鮮魚のネット販売などを手がける仲買人。これまで、築地など卸売市場を通じて販売していた魚をネットで直接消費者に販売する流通の簡略化を実現した。

その結果、これまで小売価格の30%程度しか手にしていなかった漁師の収入が増加。消費者にもより新鮮な魚を届けられる様になった。さらに、漁をしている船からネットでライブ中継し、どのような状態で誰が獲った魚かわかるようにもした。漁業のトレーサビリティーの確立だった。「生産者からも肯定され、消費者にも喜ばれる仲買になりたかった」と八木社長は言う。

「三陸とれたて市場」を経由する魚の価値をさらに高めたのは、鮮度保存の技術。導入したCAS(セル・アライブ・システム)は、磁場を発生させて水分子を揺らして凍結。解凍しても細胞は壊れず、通常の冷凍より鮮度が保てるのだ。漁師が獲った魚を食べやすい形状に調理加工して、CAS冷凍した商品は、通常の小売価格より高値でも売れたのだ。

しかし、頑固な漁師たちが新しいスタイルに簡単に同調したわけではなかった。一気に改革が進んだのは皮肉にも東日本大震災が起きてからだった。船も漁具も港も、すべてを失った漁師は彼の提案に賭けたのだ。「全部なくなったから、お前の漁業をやってみっぺ」とひとり、またひとり協力する漁師が出はじめた。

そして、震災から1年後、10人の漁師による三陸漁業生産組合がスタート。復興のための2億円の資金は、八木社長が膨大な資料を作成、補助金などでかき集めた。魚を大切に扱い、すぐに神経締めするなど漁のスタイルも変わり始めた。

さらに、郷土料理や漁師料理として加工、CASで保存するなど、消費者のニーズを徹底的に実現してきた。大船渡から始まった挑戦は日本の漁業を変えようとしている。

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第93回 鯖や 2017年1月28日(土)放送 (BSジャパン2月2日(木)放送)

第93回 鯖や

2017年1月28日(土)放送

(BSジャパン2月2日(木)放送)

かつて福井県小浜市から京都へ、若狭湾で獲れた鯖を運んだ道は鯖街道と呼ばれていた。しかし、気候変動や乱獲で漁獲高は激減。サイズも小さくなり鯖で栄えた漁港も一時の勢いを失った。「鯖の町・小浜を再生させたい」と立ち上がった大阪の会社があった。

全国で鯖料理専門店を出店している「鯖や」(大阪府豊中市)の右田孝宣社長が、取り組んだのが、若狭湾での鯖の蓄養だった。「鯖や」は、とろさば料理専門店「SABAR」で成功した新興企業。サバだけで170種類のレシピを誇る面白さが受けて、現在、日本国内で13店舗、シンガポールにも店を出すなど急成長した会社だ。

世界の伝統料理をヒントにしたユニークなメニューもたくさんある。英国風鯖のフィッシュアンドチップスや韓国風漬け鯖のユッケ、イタリア風トマトソース煮から鯖寿司のシャリごと天婦羅等々バラエティに富んでいる。店内の飾り付けも鯖一色。トイレも「お殿さば」(男性用)、「お姫さば」(女性用)、暖簾には38(サバ)と徹底した拘りと関西人らしいユーモアが溢れている。

現在、小浜での蓄養事業で地方の漁業再生に取り組んでいるのだ。鯖やのビジネスの鍵は資金調達の方法。店舗の改修や蓄養事業の資金はクラウドファンディングで出資を募って集めたこと。「この方法なら、マーケティングができると同時にファンに応援してもらえる」と右田孝宣社長は自信をのぞかせる。小浜の新事業は「クラウド漁業」と呼ばれ、地方の漁業再生の新手を示したと言えよう。

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鯖や (大阪府豊中市)
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第92回 ルバンシュ 2017年1月21日(土)放送 (BSジャパン1月26日(木)放送)

第92回 ルバンシュ

2017年1月21日(土)放送

(BSジャパン1月26日(木)放送)

石川県能美市の化粧品メーカー「ルバンシュ」。社名はフランス語で復讐を意味する。千田和弘社長が復讐を誓ったのは化粧品業界。食品では使えない物質を平気で配合する業界に一石を投じたかったのだ。

ルバンシュは口に入れても安全な製品づくりを標榜し、見事に成し遂げた企業だった。とくに基礎化粧品は食用成分のみでつくっていて、全製品の6割が食べても問題ないというから驚きだ。では、なぜ同業他社は追随しないのか?

それは、極めて非効率だからだった。例えば、化粧水の製造では一切熱を加えない。加熱した方が早く混ざるのだが、天然原料は熱に弱く品質が変わってしまうからだ。さらに出来上がった製品も3日間雑菌が混ざっていないかどうか検査する。これも口に入れても問題ない製品をつくるためだ。

それでも、天然原料の品質は一定ではなく、「失敗すればすべて捨てる覚悟が必要だった」と千田社長は言う。非効率ゆえに同業もなかなか手を出せず、オンリーワンになれた。

しかし、現在の会社が一朝一夕に誕生したのではない。創業から10年、製品の認可が下りず、下請けに徹してきた。さらに大洪水で会社は壊滅的なダメージを受ける。悔しさと意地で開発を続け、天然成分だけでつくったベジタブルリップを発売。これが奇跡のヒットとなったのだ。

現在、地元の無農薬ゆずを使った入浴剤や、ブルーベリーを使ったハンドクリームなど原材料の調達を地元と協力して行っている。面白い制度もある。全社員の投票で社長が決められる「社長選挙」。社長の意思がぶれないよう自らつくった制度だった。

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ルバンシュ (石川県能美市)
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第91回 能作 2017年1月14日(土)放送 (BSジャパン1月19日(木)放送)

第91回 能作

2017年1月14日(土)放送

(BSジャパン1月19日(木)放送)

金属は硬いもの、という常識を覆して伝統産業に新風を吹き込んだ会社がある。富山県高岡市の鋳物メーカー「能作」だ。高岡市は400年前から始まった鋳物が盛んなところ。鋳物とは、溶かした金属を型に流し込み、冷やして目的の形状にする技術だ。

能作は1916年に創業、高岡銅器のメーカーとして仏具や花器、茶道具をつくっていた。ところが、時代とともに仏具の需要は減り経営は危機を迎える。あるとき、工場見学に来た親子の言葉にショックを受ける。母親は息子に「勉強しないと、こんな仕事になるんだよ」と言ったのだ。

「なんとか職人の地位を高くしたい」。能作克治社長は工場ブランドの立ち上げを決意した。そのため、これまで作っていなかった分野の製品に注目する。それは食器だった。銅は緑青が出るため食器には適さない。抗菌作用のある錫で、とくに他社が手がけていなかった錫100%の食器を作ろうと思い立つ。

しかし、誤算があった。錫100%の鋳物は非常に柔らかく、器が簡単に曲がってしまうのだ。実は、この失敗が成功の種だった。曲げて使う食器の開発につながったのだ。客の好きな形で使える食器KAGO(カゴ)シリーズは大ヒットする。

次に錫の抗菌性を利用した医療器具の開発にも取り組んだ。脳神経外科手術に使う開創器や腫瘍を摘出するへら、関節の装具には、錫の柔らかさが必要だったのだ。この柔らかい素材を活かしてインテリア、テーブルウェア、雑貨、照明器具なども作り始めた。

「衰退産業でも、発想を変えれば逆転のヒントはある。そのためには、伝統産業といえども新しいことにチャレンジしなければならない」と能作社長は言う。最近、職人志望の若者も増え始めた。絶えず、新しい分野で新製品を出す同社の職人の地位が高くなった証である。

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能作 (富山県高岡市)
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第90回 特別版・90分スペシャル「ニッポンを元気にする小さな巨人」 2016年12月30日(金)放送 (BSジャパン1月7日(土)放送)

第90回 特別版・90分スペシャル「ニッポンを元気にする小さな巨人」

2016年12月30日(金)放送

(BSジャパン1月7日(土)放送)

テレビ大阪開局35周年特別企画「ニッポンを元気にする小さな巨人」と銘打って案内人の尾上松也と渡辺真理がMCを務めます。少子化で縮小する日本市場を飛び出し、世界でトップシェアを誇る中小企業、連合を組んで大企業に負けない力を発揮する中小企業連合、後継者不足を救うなでしこパワーなど、元気な中小企業をご紹介。救世主の出現で日本経済を明るく照らす90分スペシャル。「世界も驚く小さな巨人」、「まとまれば大手に勝てる!飛行機の安全支える小さな巨人連合」、「ニッポンの未来を救え!なでしこパワーに注目」、「ニッポンの小さな巨人たちはこんなに凄い!」 4つのテーマでお送りします。

■出演者
尾上松也、渡辺真理
渡辺徹、野々すみ花、
伊藤暢人
(日経トップリーダー編集長)

■紹介企業
日プラ(香川県)、トーホー(広島県)、
諏訪田製作所(新潟県)、
オリエンタルカーペット(山形県)、
福井洋傘(福井県)、河合工業所(東京都)、
ジャパン・エアロ・ネットワーク(大阪府、石川県)、
山崎製作所(静岡県)等

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日経スペシャル 夢織人~特別版・90分スペシャル~
ニッポンを元気にする小さな巨人
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第89回 玉川堂 2016年12月24日(土)放送 (BSジャパン1月12日(木)放送)

第89回 玉川堂

2016年12月24日(土)放送

(BSジャパン1月12日(木)放送)

新潟県燕市の金属加工のメーカー「玉川堂」には、就職希望の若者が全国から訪れている。本社工場では、職人の半数を20代、30代が占めている。会社は1816年創業の2百年企業。1枚の銅板を槌で叩いたり伸ばしたりして、やかんや急須などの日用品をつくる鎚起銅器(注1)専業だが、その技術力は高く、国から無形文化財に認定されている。

しかし、若者を引きつける理由はそれだけではなかった。職人が、商品開発から製造、販売までのすべてを手がけ、キャリアに関わらずチャンスを与えるのがその秘密。同社のつくったモノの価格は、10万円以上はざら。中には50万円するやかんもあるのだ。ひとつ作るのに10日かかるというそのやかん。ほとんどが職人の人件費だ。

高額にも関わらずファンは多く、現在注文から2カ月待ちという。しかし、同社の経営は決して順風ではなかった。バブル崩壊後、それまで主力だった贈答用の伝統工芸品の注文が減り、半数の職人を解雇したというのだ。客は企業中心、営業はすべて問屋まかせだった同社は、絶体絶命のピンチだった。

そこで、社長自ら積極策に打って出る。百貨店などに飛び込み営業し、直接販売に挑んだのだ。そこで、実演販売のチャンスを得た。不慣れな職人が客と相対することになり、客のニーズと評価を直接聞けたのだ。これまでの観賞用から、要望の強かった日用品づくりへすぐに方針を転換。

同時にオープンファクトリー化を進め客と直接対話できる機会を増やした。客と職人の距離が縮まり、客の意識も変わった。鎚起銅器ができあがるまでの職人の苦労や製品に込められた思いが伝わり、高額でも買ってくれるファンが増えたのだ。

モノを売るのではなく、ストーリーを売る。同社の製品がブランド化できたのは、客との対話がきっかけだった。だからこそ、そのストーリーに憧れた職人希望の若者も増えたのだった。

(注1)鎚起銅器とは一枚の銅板を大小さまざまな鎚やタガネで、焼鈍を繰り返しながら、打ち延ばし、打ち縮めという鍛金の技を駆使して仕上げられたもの。

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第88回 IKEUCHI ORGANIC 2016年12月17日(土)放送 (BSジャパン12月22日(木)放送)

第88回 IKEUCHI ORGANIC

2016年12月17日(土)放送

(BSジャパン12月22日(木)放送)

1万円出しても買いたくなるというバスタオルが注目を集めている。風で織ると名付けられたそのタオルは、吸水性、柔らかい肌触り、速乾性などに優れ、使い心地の好みに応じて18種類もあるという。作ったのは、日本3大タオル産地の愛媛県今治市のメーカー「IKEUCHI ORGANIC」(売上高6億円、従業員35人)。

さらに、同社が拘っているのは安全性。原料は無農薬の綿花、さらに工場で使用する電力は風力発電という徹底ぶりだ。「創業120年を迎える2073年までに、赤ちゃんが食べられるタオルを作るのが、僕らの壮大な目標」と池内計司代表は言う。素材だけでなく、イケウチのタオルは作り方にも随所に独自の工夫が見られる。

複数の種類の糸を緩く縒って繊維の表面積を増やすことで、抜群の吸水性をもたせた。また、パイル(タオルの突起)の長さで、吸水性と速乾性のバランスを調整、消費者の好みによって作り分けている。さらに、糸の太さにバラツキが出るオーガニックコットンを手間をかけて選り分け、天然素材へのこだわりを実現した。

彼らが天然にこだわるには、自社ブランドの差別化という狙いがあった。環境意識の高いアメリカで同社のタオルは認められ、日本へ凱旋したのだった。しかし、自社ブランドの成功目前に、大手取引先の問屋が倒産。負債9億円を抱えて連鎖倒産の危機にさらされた。民事再生を余儀なくされた。

新たなOEM先を探すか、自社ブランドで勝負するか?決断させたのは同社のタオルファンからの励ましのメールだった。池内代表は、「風で織るタオル」中心の戦略を選択した。その時に大切にしたのは「作る側の製品への思いを伝えること」。SNSで地道に発信していった。口コミで噂は広がり成功への道が開けた。池内代表は「エンドユーザーの言葉しか聞かない。そこにしか真実はない。」という。

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IKEUCHI ORGANIC (愛媛県今治市)
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第87回 粟田建設 2016年12月10日(土)放送 (BSジャパン12月15日(木)放送)

第87回 粟田建設

2016年12月10日(土)放送

(BSジャパン12月15日(木)放送)

日本の城の8割を手がけたという、石垣づくりのスペシャリスト「穴太衆」。天下を取るには彼らの技術が絶対に必要だったと伝えられている。安土城、大阪城、江戸城、熊本城などの石垣はすべて穴太衆が積んだものだ。

現在、その秘術を継ぐのは、滋賀県大津市坂本の粟田建設(従業員3人)だけ。社長の粟田純徳さんは15代目の穴太衆頭。しかし、城の改修仕事が減り、会社の経営は危機に陥っていた。粟田一族が受け継いできた城づくりの技が消滅する危機に晒されていたのだ。

自然の石を寸分の隙なく積み上げ、堅牢に保ってきた穴太積みの技や外敵の侵入を防ぐ武者返しの秘伝を守るためには、新しい市場を開拓しなければならない。粟田社長は、これまで専ら取り組んできた神社仏閣やお城の改修の仕事に加え、一般住宅や大学、博物館などの現代建築に石垣を売り込むことにした。

そこに立ちはだかったのが、法律の壁だった。強度や耐震性を科学的に証明しなければならなかったのだ。そこで粟田社長は、京都大学と連携しコンクリートの壁と石垣の荷重実験を実施、コンクリートより強度が優れていることをデータで明らかにした。また、海外にも目を向け、アメリカの庭園にも採用されるなど、穴太積みの可能性を広げたのだ。

「祖父(14代目)、父(13代目)から、「石の声を聴け」と穴太積みの極意を教えられた。私にはまだ聞こえないが、小学生の息子に16代目を継がせるためにも体得しないといけない。」粟田社長は穴太衆の伝統を守り継ぐ決意を語ってくれた。

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粟田建設 (滋賀県大津市)
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第86回 東洋ステンレス研磨工業 2016年12月3日(土)放送 (BSジャパン12月8日(木)放送)

第86回 東洋ステンレス研磨工業

2016年12月3日(土)放送

(BSジャパン12月8日(木)放送)

アメリカ・ロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホール。フランク・ゲーリーの曲線を多用した波型の金属の壁は、独特の形状で観光客の目を楽しませている。注目を浴びているのは形状だけではない。朝、昼、夕の時間帯によってシルバー、ブルー、ゴールドと色が変わり、模様が浮き出てくるのだ。その壁の原材料の金属板をつくっているのが、東洋ステンレス研磨工業(福岡県太宰府市)。

ステンレス、チタンなどの金属を、叩き、磨き、コーティングなど加工技術を駆使して芸術レベルまで引き上げる技術力が魅力の会社だ。同社では職人のことを「金属化粧師」と呼び、自らが施す加工が芸術の域まで達していることを誇っている。例えば真言密教の聖地で黄金に輝く、高野山総持院宝塔。以前は金箔をはっていたが、今はチタンで黄金を表現している。

元々、銀色のチタンを黄金色に変える技術は、同社と新日鉄住金が共同で開発した素材。チタンの板にチタンの極小粉末を電気で飛ばしてくっつけるイオンブレーディングという技術を使った。飛ばすチタンを特殊なガスにくぐらせて、化学反応で金色をつくっている。チタンは錆に強く、色落ちもしにくいため、文化財などでも徐々に使われ始めているという。

上記のディズニー・コンサートホールの場合は、磨きの技でステンレスの表面にセラミック粉末で細かい線の模様を描き、より凸凹にすることで光の反射によって色が変わる仕組みをつくっている。

現在、彼らが取り組んでいるのは、板を動かすと波を打つ水面のような表情が立体的に現れる加工。デザイン製の高い化粧を金属に施し生まれ変わらせる。現代の錬金術師のような技のオンパレードの町工場に、世界から熱い視線が注がれている。

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東洋ステンレス研磨工業 (福岡県太宰府市)
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第85回 タニカ電器 2016年11月26日(土)放送 (BSジャパン12月1日(木)放送)

第85回 タニカ電器

2016年11月26日(土)放送

(BSジャパン12月1日(木)放送)

大手ひしめく家電業界で、従業員38人という小さな会社ながら、しぶとくヒットを出して存在感を示しているメーカーがある。岐阜県多治見市のタニカ電器は、家庭用電気酒燗器やコンタクトレンズの煮沸消毒器、ヨーグルト製造機などを次々と開発。ニッチな分野でオンリーワン製品を世に出している。

とくに、最近の「発酵食ブーム」に乗って、塩麹から甘酒、ヨーグルトに至るまで殆どの発酵食品を簡単につくれるヨーグルティアは、女性層中心に人気を集めている。わずか38人の中小企業がなぜヒットを打ち続けられるのか?この会社のルーツに謎をとく鍵があった。

実はタニカ電器は、岐阜のエジソンと異名をとった発明王・谷口文雄氏がつくった会社。谷口氏は、「世の中にあったらいいな」を形にする名人です。微妙な温度調節ができる生活家電に応用してきた。とくに、大手が進出するような量産品には手を出さず、独自の道を歩いてきたのだ。

創業者の娘、谷口幸子社長は父の意志を継ぎ、生活者に寄り添ったニッチ家電一筋に開発の道を引き継いだ。とくに、部品はネジ一本までこだわり、見えない部分にも手を抜かなかった。そのモノづくりで、消費者の熱烈な支持を得ているため、競争の激しい家電業界で生き残ってきているのだ。

創業者は「中小企業の生きる道は、生活に密着した新製品を開発する技術力がポイント。それが信用を高め、消費者に受け入れられる道だ」という。

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タニカ電器 (岐阜県多治見市)
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第84回 大塚産業グループ 2016年11月19日(土)放送 (BSジャパン11月24日(木)放送)

第84回 大塚産業グループ

2016年11月19日(土)放送

(BSジャパン11月24日(木)放送)

全国的に見て、滋賀県はとくに百年以上つづく老舗が多いのが特徴。なぜ、そんなに長く続けられるのか?そこには、意外な共通点があった。それは、近江商人が商訓として掲げている「三方よし」だった。売り手よし、買い手よし、世間よし」、自分だけが得をするのではなく、地域、客とのバランスを考えよという意味だ。

大塚産業グループもそんな会社の一つ。1700年代初頭に創業、専ら蚊帳の製造をしていたメーカーだ。しかし、高度経済成長期に日本人のライフスタイルが大きく変わり、蚊帳の必要性がなくなった。一時は廃業も考えたというが、そこからの粘りと進化は凄まじかった。

まず、蚊帳の技術を生かした布壁紙、それから自動車が普及すると見るやその内装材の製造に主要業務を切り替えていく。いずれも人を優しく“包む”という技術を進化させたのだ。自動車のシートに使われる緩衝材の不織布は、国産自動車のシェア7割に達し、次々とオンリーワン技術で他社を引き離していった。

原動力は従業員のカイゼン運動。一案につき200円の報奨金が出るため、従業員のモチベーションは上がり、次々と新しいアイデアが生まれた。「玉石混交だが、みんな自分で考え職場を変えるという意識が統一された」と、大塚敬一郎大塚産業マテリアル社長は言う。厳しい時にも諦めず雇用を維持し、人に役立つ製品を作りたいという社長の思いはひとつになった

これまで、コイルとジュートで補強されていた自動車のシートは、同社の不織布のパッドで疲れにくい座り心地を実現。トヨタなど大手メーカーに認められ普及するのである。さらに、同社は湖北地方の伝統産業浜縮緬にも目をつける。外国製の安い繊維に押され、廃業が相次いでいた縮緬工場に不織布の縫製を依頼し、地域全体で生き残る道を選択したのだ。

「我々が三百年続けられたのは、地域や従業員とともにやってきたから」と社長は言う。蚊帳から自動車の内装部品へ進化した300年老舗、作るものは変わっても変わらないモノ、それは三方良し、近江商人の経営哲学だった。

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大塚産業グループ (滋賀県長浜市)
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第83回 下村漆器店 2016年11月12日(土)放送 (BSジャパン11月17日(木)放送)

第83回 下村漆器店

2016年11月12日(土)放送

(BSジャパン11月17日(木)放送)

農家が米を売るために炊飯器を自ら開発する。そんな誰もしようとはしないことに匹敵する挑戦をやってのけた、従業員18人の中小企業の物語だ。

偉業をやってのけたのは、福井県鯖江市で1900年創業の下村漆器店。病院用の器を売るために電磁自動調理カートを開発した突破者である。下村漆器店がある鯖江市はメガネのほか、越前塗りで有名な伝統産業の町。同社も美しい紋様と濃さの違う漆を重ねて塗る丈夫な木製漆器をつくっていた。

ところが、バブル崩壊後、安いプラスチック製の輸入品との価格競争で経営は厳しくなる。なんとか、新しい販路を開拓しようと目をつけたのが、病院。病院食用のIH食器を開発して売り込もうと考えたのだ。ところが、病院も新規参入組には厳しかった。

「他社が真似できないものじゃないとダメだ。オンリーワンを開発しよう。」下村昭夫社長は病院食用の器のみならず、電磁調理用カートの開発に乗り出したのだ。これまで、病院ではあらかじめ調理した料理を温めなおすためにカートを使っていた。

下村社長が考えたのは、食材を器に入れて収めれば、自動的に調理までしてくれるカート。これだと、手間が省け、尚且つ人手を介さないため衛生管理しやすいという利点があった。

さらに、栄養士や衛生管理の専門家を集めた新会社も設立。病院食用の美味しく、体に良いメニューの開発にも取り組んだ。器もしかり。メニューごとに最適な調理温度が保てるように、レシピ専用の食器を開発した。

実験に次ぐ実験、漆器屋が電磁調理器をつくるなんて誰も考えつかないことを実践し、やり遂げる意思の勝利だった。

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下村漆器店 (福井県鯖江市)
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第82回 光岡自動車 2016年11月5日(土)放送 (BSジャパン11月10日(木)放送)

第82回 光岡自動車

2016年11月5日(土)放送

(BSジャパン11月10日(木)放送)

トヨタ、ニッサン、ホンダ、マツダ等々大手メーカーが凌ぎを削る自動車業界に、独自の路線で切り込む小さな自動車メーカー・光岡自動車の戦略を特集。光岡自動車は、ニッサンやマツダの完成車を独自に改造したクラシックカー路線で耳目を集めた会社。彼らがつくる車は、一部のマニアにファッションカーと呼ばれ根強い支持を得ている。

現在、彼らが挑んでいるのは、超小型モビリティ。軽自動車とオートバイの中間で、ゴーカートのような見栄えの三輪EVだ。超小型モビリティは、自動運転車と双璧をなす未来の車として大手も開発に取り組んでいる分野。それだけに今後、競争が激しくなることが予想される。しかし、法整備が進んでおらず、まだ公道を走れないという問題があって、大手も量産には踏み切れていない。

そこで、光岡自動車はこの間隙をついて、大手に先行する戦術をたてた。道路運送車両法では側車付軽二輪車いわゆるサイドカーやトライクと同じ車両として登録、道路交通法では普通自動車とみなされる盲点をついた。車輪を左右対称にして、運転席をまたがり式に、さらにバーハンドルにすることで側車付二輪車の規定をクリアし公道を走れる車にしたのだ。

「大手に先んじて、一点突破で臨まないと、とても大手に立ち向かえない。だから我々は先行する」と光岡進会長は言う。同社は、観光地を中心に独自の営業を展開。レンタカーとして有馬温泉の旅館への販売にも成功する。また、大手農機具メーカーに営業し、農家の運搬用車としての販路も広げた。

大手が入り込めないミニマムの市場こそ彼らの目指すマーケットなのだ。「一人の支持があれば、市場はつくれる。ロットを必要としない小さな会社だからできることがある」という光岡会長。中小企業の生き残るヒントがここにあった。

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光岡自動車 (富山県富山市)
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第81回 細尾 2016年10月29日(土)放送 (BSジャパン11月3日(木)放送)

第81回 細尾

2016年10月29日(土)放送

(BSジャパン11月3日(木)放送)

先染伝統織物の西陣織が今、世界から注目を集めている。映画監督・デヴィッド・リンチの作った全長70mの巨大アートから、クリスチャンディオール直営店の壁布、革靴を飾る生地、腕時計のベルト、カメラのケースなど、アート、建築、ファッション、雑貨、ありとあらゆる分野で使われ始めているのだ。

仕掛けたのは1688年創業の老舗、細尾の11代目細尾真生社長と息子の真孝さん。着物離れと、後継者不足で次々に同業が廃業に追い込まれていく西陣の現状を憂い新しいビジネスモデルを模索したという。目指したのは世界市場。しかし、伝統和柄を施し反物基準で作っていた当初は、全く売れなかったという。

そこで、壁布として使える150cm幅の大きな生地を織る機械を独自開発、さらに柄も伝統和柄に囚われず使ってもらいやすいモダンなデザインも取り入れた。さらに、クラゲのDNAを移植した蚕で作ったシルクも試して、光る生地や光の加減で色が変化する織物も。先染糸で複雑な模様を自在に織れる錦織の伝統技を活かし、用途の選択肢を広めることで西陣織の可能性は広がったのだ。

「伝統和柄で勝負しないと、世界で勝てないと思った。しかし、世界が求めていたのは西陣が育んできた技術を使って、自分たちのライフスタイルに合うクロスだった。」細尾真生社長は、常識に囚われすぎていたと振り返る。

伝統産業の良さを残しつつ、新しい価値の創造、イノベーションに取り組んだ結果、細尾は衰退していた西陣織復活の可能性を世に示した。常識の殻をいかに打ち破るか?細尾の挑戦は、伝統産業生き残りのヒントを与えてくれた。

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細尾 (京都市中京区)
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第80回 中央葡萄酒 2016年10月22日(土)放送 (BSジャパン10月27日(木)放送)

第80回 中央葡萄酒

2016年10月22日(土)放送

(BSジャパン10月27日(木)放送)

今後10年で中小企業の半数(198万社)が世代交代、年間1万社以上の黒字企業が後継者不在で廃業する見通しというショッキングなリポートがある。事業承継問題は深刻な一方、最近、娘が後継者候補になるケースが増えている。山梨県甲州市のワイン製造業、中央葡萄酒もそのひとつ。

4代目三澤茂計社長の娘、三澤彩奈さんは取締役栽培醸造部長。本場フランス・ボルドー大学でワインを学び、山梨で働きながら冬にはチリやアルゼンチンで武者修業してきたツワモノ。「祖父や父がやってきたことが、正しいと証明したい」とワイン造り賭ける情熱を語る。

中央葡萄酒の創業は1923年(大正12年)、世界最大のワインコンクール「デカンター・ワールド・ワイン・アワード」で金賞を受賞(2014年)するまで90年の歳月を要した。世界一の称号を手に入れるまで、5代続く同社のワイン造りへの地道な取り組みがあった。山梨は日本有数のブドウの産地。とくに同社が拘ったのが「甲州」という日本固有の品種だった。

いつか「甲州」を使ったワインで世界に打って出るというのが、代々受け継がれた悲願だった。同社が取り組んだのは自社農場の開園だった。それまで、契約農家から仕入れたブドウで生産していたが、自ら新しい栽培方法を試して品質を高めようとしたのだ。それまでの一般的な棚栽培から、本場ヨーロッパでワイン用ブドウ栽培で行われている垣根栽培に変更した。

さらに、垣根の土を盛り、水はけの良い高畝式を導入。手間がかかり収穫量は減るものの糖度が上がって旨味が増すのだ。そして、初めて糖度20度を超える甲州が収穫できた。その甲州で造ったワインが日本初の快挙を遂げるのである。

「まだ世界の土俵に上がったばかり。横綱と対等に渡り合えるようになりたい」という父の想いを受けて彩奈さんは、さらなる品質向上のため優良な木を選りすぐって新しい畑を作ろうとしている。ワイン造り90年でようやく立った世界の桧舞台、ここをスタートラインに世界への挑戦が始まっていた。

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中央葡萄酒 (山梨県甲州市)
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第79回 布施金属工業 2016年10月15日(土)放送 (BSジャパン10月20日(木)放送)

第79回 布施金属工業

2016年10月15日(土)放送

(BSジャパン10月20日(木)放送)

木槌一本で自在に金属を曲げて形を作ってしまう「たたき板金」という技術。アルミニウムで、しかも専用の金型なしであらゆる形をつくる工場がある。東大阪市の布施金属工業、通称フセキンだ。

従業員数は10人に満たない小さな町工場だが、レディ・ガガのステージ衣装から、イタリアのオートバイ、ドゥカティのカスタムタンク、ロードバイクのフレーム修理、そして大型プラントまですべて叩いてつくってしまう。特徴はすべてオーダーメードという点。設計図や専用金型がなくても、デザイン画、イメージだけでつくってしまうというから驚きだ。

しかし、経営がすべて順風満帆だった訳ではない。多くの町工場同様、発注元の大手メーカーの海外移転、リーマンショックで売り上げが3分の1以下に落ち込むピンチもあった。町工場の再生を成功させたのが、創業者の孫・西堀広希専務だ。

彼はフセキンの技術を知ってもらえさえすれば、道は開けると考えていた。そこで、注目したのはインターネット。会社のホームページをつくったもののアクセスは全く伸びず、失敗に終わったかにみえた。そこへHPを見た人から、壊れたロードバイクを直して欲しいという相談が舞い込む。

実はアルミフレームの修理は難しく、自転車店ではできなかったのだ。溶接も得意とするフセキンはすぐに快諾、修理費はわずか3,500円だった。「嬉しかったですね。全然儲けにはならなかったけど、初めての客に喜んでもらえた。」と西堀専務は言う。

ところが、評判がSNSで広がり、いろいろな業界から次々と相談が寄せられるようになる。レディ・ガガのステージ衣装をつくったデザイナーの船越保孝さん(アリスアウアア)は、「どこも引き受けてくれそうになかった仕事を面白そうだからやってみようと受けてくれた。」という。

自分たちの強みをどう売り込んでいいのかわからなかった町工場とどこに頼めばいいかわからなかったユーザーがネットを媒介につながった。ここに町工場生き残りのヒントがあった。

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布施金属工業 (大阪府東大阪市)
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第78回 シオン 2016年10月8日(土)放送 (BSジャパン10月13日(木)放送)

第78回 シオン

2016年10月8日(土)放送

(BSジャパン10月13日(木)放送)

すべての社員を輝かせるにはどうしたらいいか?企業にとって永遠の難題に対して、ひとつの答えを出した企業があった。岐阜県美濃市で、航空機部品をつくっている従業員9人の金属加工の会社だ。同社は、チタンやタングステンといった加工が難しい金属を得意としている。

この会社の特徴は、航空機部品並みの精度を誇るコマやボールペン、その他生活雑貨を難加工金属でつくった自社ブランド「NEIGHBOR」を持っていること。コマは全日本製造業コマ大戦で200社を超える会社の頂点に立ったもので、実に15分間回り続けるという。

シオンは、全従業員9人すべてが企画開発を担当。大会前にも、それぞれが作ったコマで社内大会を実施して技術を高めあった。この従業員たちは、決して技術やデザインが専門ではなかった。彼らの多くは、ニートや携帯電話の販売員といった未経験者ばかり。新卒学生も田舎の中小町工場にはなかなか来てくれない。

しかし、全従業員が3年で立派な技を身につけるというのだ。秘密は社長の社員育成の手腕にあった。長い朝礼で一冊の本について順番に意見を発表させ、他人の考えを聞く訓練と自分の考えをまとめる能力をつけさせた。会話の少ない、加工の現場を考慮して、「ありがとう」というとポイントが貯まり賞品がもらえる制度 もつくり、コミュニケーション能力を高めた。

極め付きは難加工コンテスト。加工が難しいチタンなどの素材で、新製品を一人ずつ開発させ競わせた。リーマンショックで仕事が3分の1に減った時、リストラせず暇な時間に、楽しく技術力や開発力をつけるために実施したという。

「仕事に遊びのエッセンスを盛り込んで、働く楽しさを知って貰いたかった。」山田健社長は言う。この会社から新たなヒットが生まれそうな予感がプンプンする。

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シオン (岐阜県美濃市)
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第77回 シューズ・ミニッシュ 2016年10月1日(土)放送 (BSジャパン10月6日(木)放送)

第77回 シューズ・ミニッシュ

2016年10月1日(土)放送

(BSジャパン10月6日(木)放送)

安価なサンダルの下請け町工場が集まる大阪・生野区。この町から、年間96万足の靴やサンダルを売るヒットメーカーが生まれた。シューズ・ミニッシュは下駄にヒントを得た、独特の形をしたリゲッタというサンダルやパンプス、ローファーを開発。足にぴったりとフィットした歩きやすいシューズは、テレビ通販を突破口に、日本のみならず海外でも人気が広がった。

しかし、小さな町工場に突然訪れた需要は、その生産能力をはるかに超えていた。ここで、同社がとった策は、生野の靴工場の力を借りること。かつて1980円(イチキュウパー)の町と言われた同社周辺には、仕上げの早い靴職人、機材が揃っていた。高本泰朗社長は「町をひとつの工場と考えれば、大手とも渡り合える。」と言い、シューズ・ミニッシュは、デザインと企画、製造を協力工場として水平的な分業システムを築いたのだ。

ところが、ヒットしたサンダルはすぐに安価なコピーが出回り、大きな打撃を受けてしまう。高本社長は、デザイン力、開発力、ブランド力を強化して製造ラインが止まらないよう奔走した。夏に需要が集中するサンダルに加え、通年生産できるパンプス、ローファーなど冬にも売れる同社のブランド製品を矢継ぎ早に開発して危機を乗り切った。

同社のブランド、リゲッタは、土踏まずや足の側面などと靴の間に隙ができない用、インナーを工夫。体重がかかる面積を均等化して足の負担を減らした。またつま先部分を反り返る構造にして、かかとからつま先へスムーズに体重移動できるようにデザイン。足に優しいつくりを最優先させた。

モノづくりに定評のある町工場がタッグを組み、それぞれの得意分野を擷取させたこの業態は、元請けの下請け切りに悩む町工場の生き残りのヒントになった。

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シューズ・ミニッシュ (大阪市生野区)
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第76回 玉木新雌 2016年9月24日(土)放送 (BSジャパン9月29日(木)放送)

第76回 玉木新雌

2016年9月24日(土)放送

(BSジャパン9月29日(木)放送)

綿菓子のようにフワフワ、そして無数の色が広がるショールが、百貨店やセレクトショップのバイヤーから高い評価を得ている。作ったのは玉木新雌。デザイナーの社長自らの名前を会社名、ブランド名につけたという一風変わった中小企業だ。兵庫県西脇市の工場には50年前の織機が並び、ゆっくりとフワフワの生地を織っている。

使っている横糸はすべて色で染まっていて、頻繁に手作業で変えられていた。ゆっくりと、播州織ならではの先染め糸で織るのが人気の秘密。元来、播州織は、先染めの糸で織る薄手の高級シャツで有名だった。高級ブランドなどのOEMを手がけていたが、取引先が安い海外生産に切り替え、衰退の一途をたどっていた。そこに現れたのが、デザイナーとして独立したばかりの玉木新雌さんだった。

自分が作る服の生地を求めて、全国を訪ねていた玉木さんは、播州織に惚れ込みとうとう西脇市に転居、会社を起こしたのだ。当初は、地元の職人に教えを請い伝統産品のシャツをつくっていた。そして、もっと肌触りのいい柔らかいものを求めて試作品をつくる日々が続いた。あるとき、縫えないほど柔らかい生地ができてしまう大失敗を犯した。

ところが、この失敗が新製品にたどり着く種だった。「シャツでなくショールをつくったらどうだろう」彼女は失敗作の生地をショールにしてみた。すると、極上の肌触りだった。大手の下請けで早く、かっちりとした良いものをつくるのが常識だった播州織で、ゆっくりと、フワフワなものを作り、これが認められたのだ。

播州織の特徴を活かすため、先染めのカラフルな糸を頻繁に変えて織り込み、これまでになかったカラフルな製品もつくった。伝統の良さを取り込みながら、常識を覆す製法で伝統織物を進化させた玉木新雌。取材したクリエイティブディレクター田中淳一氏は、その功績について、伝統を蘇らせ、衰退する地方の創生に一役買う可能性があるという。

「地方を変えるのは“よそ者、若者、ばか者”と言われている。他所から来た玉木さんが、ファッションを志す若者達とともに会社を起こし、伝統織物の常識にないやり方で、新しい風を起こしたのだ」と。今年、玉木新雌は巨大な新工場を建設、新しいブランドが衰退する街から産声を上げようとしている。

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玉木新雌 (兵庫県西脇市)
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第75回 エンリッション 2016年9月17日(土)放送 (BSジャパン9月22日(木)放送)

第75回 エンリッション

2016年9月17日(土)放送

(BSジャパン9月22日(木)放送)

飲み物1杯無料、WiFi使い放題という凄いカフェがある。必要なのは学生証だけだ。エンリッションが経営する「知るカフェ」は、大学の近くに店を構え、常に大学生で賑わっている。では、誰が費用を負担するのか?すべてカフェに協賛するスポンサー企業だ。

企業は、その見返りに全国11店舗の「知るカフェ」で自社のセミナーや学生向けのイベントを開催できるというもの。実はこの仕組み、非常に良くできている。就活を控えた学生、その大学から優秀な人材を獲得したい企業が、お互いによく知るための機会を創造しているのだ。

さらに、店舗の賃料、アルバイトの賃金、光熱費、飲み物代など費用は、予め1年分、協賛金を集めているため絶対に赤字にならない。エンリッションにとってもこれほど、安全で確実なビジネスはない。同社は、国内にとどまらず、今年はインド工科大学の構内にも「知るカフェ」をオープンした。

この仕組みを考えてエンリッションを起業したのは、柿本優祐社長(28)。入りたい業界のイメージすら湧かず、就活に苦労した学生の悩みを解決したいと考えに至った。ソフトウェア会社に就職した彼は、2年後に独立。エンリッション発足に動いた。

彼がまずやったのは、スポンサー企業への営業。3ヶ月間で、面識のない約800社に電話をかけ、実際に会えたのは250社、そのうち25社と契約まで漕ぎつけたという。エンリッションの主要スポンサーになった、かつてのソフトウェア会社の上司は、「柿本社長の突破力には目を見張る」と賞賛した。アイデア倒れになるスタートアップ企業が多いなか、彼は行動力を伴い、机上の企画を実現まで漕ぎつけたのだ。

柿本社長のビジネスモデルは、客の大学生、アルバイトの大学生、スポンサー企業、そして自分自身もすべて良しとなる、四方良しを意識せず実現していた。自分だけ儲かればいいという考えでは決して成功しなかっただろうと経済専門家は言う。

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エンリッション (京都市上京区)
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第74回 錦見鋳造 2016年9月10日(土)放送 (BSジャパン9月15日(木)放送)

第74回 錦見鋳造

2016年9月10日(土)放送

(BSジャパン9月15日(木)放送)

注文してから手に入るまで24ヶ月待ちという「魔法のフライパン」。薄さが1.5ミリ、他社がつくるステンレスのフライパンに比べ、熱伝導率が高いのが特徴。熱してからおよそ30秒で200度に達するため、素早く食材に火が通り料理を美味しくできるのだという。作ったのは錦見鋳造(三重県桑名郡木曽岬町)、従業員わずか12人の小さな会社だ。

ドロドロに溶かした鉄を薄い型に流し込んでつくる鋳物を得意としている。客の需要に応えるため、もっと効率よくつくりたいのだが大量生産できない理由があった。世界最薄のフライパン製造はすべて手作業、溶かした鉄を2秒間隔で均等に注いでいかなければならないのだが、リズムが崩れてしまうと鉄がすぐ固まってしまい不良品になってしまう。いまだに機械化できない技術で、1日に100個しかつくれないのだ。

同社の錦見泰郎社長は父の会社を継いだ2代目。かつては、家電製品やモーターの部品を製造していた下請け専業の工場だった。会社に転機をもたらしたのはバブル崩壊。元請け企業が30%の値下げを要求してきたという。「嫌ならやらなくていい。代わりはいくらでもいる。」と宣告されたのだ。そのとき目にした新聞の社説が脱下請けの決心をさせた。

社説には「生き抜くためには、価格競争なら3分の1に、技術競争ならば3倍難しいことをやれ」と書かれていた。社長は、技術競争へ舵を切り、販売価格、納期を自分で決められる自社製品の開発に取り組み始めた。狙いをつけたのは存在しなかった鋳物のフライパン。鉄鋳物には炭素が含まれるため遠赤外線効果で、素材の中までしっかり火が通る。

だが、鋳物は重く片手で持てない、厚さをかつてない1.5ミリに設定し、軽量化を狙った。しかし、1.5ミリの薄さは、誰も実現できなかった未知の領域だった。開発まで9年、試作品をつくる作業が続いた。1回の試作に20万円の金が消えたという。開発に3億円以上費やした。9年間諦めず開発を続けられたのは、職人の意地だという。

「廃業か開発か、その2択しかなかった。誰も助けてくれなかった」と当時を振り返る。今、社長はこのフライパン製造の機械化に挑戦している。誰もできないことに挑戦するのは、楽しいからだそうだ。目標は、魔法のフライパンを世界ブランドにすること。「凄いって言われたいですからね」と目を輝かせて夢を話してくれた。

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錦見鋳造 (三重県桑名郡)
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第73回 中村印刷所 2016年9月3日(土)放送 (BSジャパン9月8日(木)放送)

第73回 中村印刷所

2016年9月3日(土)放送

(BSジャパン9月8日(木)放送)

廃業寸前だった小さな印刷工場が、2人のおじいちゃんが開発したオンリーワン製品で、起死回生の復活を遂げた。しかも、ヒットに火をつけたのが職人のおじいちゃんの孫娘が書いた1本のツイート。「事実は小説よりも奇なり。こんな劇的なシナリオが眠っているから面白い」と今回、企業を訪れた講談師・日向ひまわりさんは興奮気味に語った。

中村印刷所(東京都北区)は、昔ながらの面影を残す住宅街の小さな町工場。1938年に浅草で、中村輝雄社長の父が創業。東京大空襲で被災し、1945年に現在の場所で事業を再開して印刷一筋の道を歩んできた。昔ながらの活版印刷で手書き伝票などを細々と作っていたが、オフセット印刷への転換、家庭用プリンターの普及などで業績不振が続いて廃業寸前だった。

「革命的なモノをつくろう」中村輝雄社長(73)は、製本職人の中村博愛さん(80)と2人で、誰も作れなかった、どのページも水平に開ける「水平開きノート」の開発に取り組む。中央が膨らまないノートは、0.2ミリというお札の薄さの紙を二つ折りにして貼り合わせる無線綴じの手法で作るのだが、シビアな調整は機械では無理。

しかし、ベテラン職人をもってしても簡単ではなかった。しかも、接着剤は強すぎるとノートが開かず、弱すぎてもバラバラになってしまう。糊の開発、貼り合わせる技の工夫など試行錯誤が2年も続いた。ようやく完成したが、今度は売る術がなかった。工場には在庫の山ができ、今度こそ廃業を覚悟したという。

危機を救ったのが、製本職人・中村博愛さんの孫のツイートだった。「おじいちゃんが、ノートの特許をとった。拡散希望」という内容だった。すると瞬く間に、SNSで広がり3万人から反応があり、大量の注文が寄せられたのだ。

業界大手のショウワノートは社長自ら工場を訪れ、中村印刷所に業務提携を申し入れた。「おじいちゃんのノート」の新製品を共同開発し、来年の春には発売するという。たった2人のおじいちゃんが、文具業界に革命を起こしたのだ。

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第72回 一門会 2016年8月27日(土)放送 (BSジャパン9月1日(木)放送)

第72回 一門会

2016年8月27日(土)放送

(BSジャパン9月1日(木)放送)

厚生労働省の調査では、宿泊業・飲食サービス業における3年以内の離職率は、50%を超えている。そんな中、離職率10%という驚異的な数字を達成している串かつチェーンがある。大阪・浪速区の「串かつだるま」14店舗を運営する一門会だ。

さらに「だるま」は、狭いエリアに64軒もの串かつ屋がひしめく新世界で、売り上げトップを誇っている。なぜ、売り上げトップと離職率10%を実現できたのか?秘密は、一門会の緻密に計算された独自のサービスと、人心を収攬する上山勝也会長兼社長の人情経営にあった。上山氏の信条は“信じて任せる”こと。店の運営は店長に一任。従業員から出てくるアイデアは、どんどん採用するという。

そこで生まれたのが、だるま流サービスの数々だ。店のカウンターの後ろに、常時3~4人の店員がスタンバイ。1人で4、5人の客を担当して客に気を配る。グラスが空きそうになるとすかさず注文を取る。また、空席が出ると別の店員が即座に客を誘導すると同時に、食器を片付ける。かける時間は1分以内という。

新世界に来られるお客さんは、待つのが嫌い。そこに気を配らないといけないのだという。これが功を奏して、店の回転率と満席率、さらに客単価を押し上げ、売上高を大きく押し上げたのだ。とくに回転率は、夕方の3.5時間で5回転。客の回転が良い時のファミレスの1.6倍という。

実は、これらの改革案はすべて店から提案されたもの。上山会長の“信じて任せる”という方針が、従業員からアイデアを提案させやすくしたのだ。だるまでは、ほとんどの従業員が会長のことを親父と呼んで慕っている。実はこれには理由があった。

店の多くの社員、従業員はスポーツ選手。潰しが利かない彼らの引退後を、会長は積極的にサポートしていたのだという。アルバイトには、現役のアスリートも大勢いる。練習や試合でシフトに入りづらい彼らのために、自己都合でのシフト入りを認めているためだ。さらに、アルバイトから社員になる人も多いという。

「自分がアスリートやったから彼らの苦労や気持ちはよくわかる。信じて任せたらみんな恩返ししてくれた」そう語る会長の顔は好々爺に見えた。

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一門会 (大阪市浪速区)
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第71回 マルナオ 2016年8月20日(土)放送 (BSジャパン8月25日(木)放送)

第71回 マルナオ

2016年8月20日(土)放送

(BSジャパン8月25日(木)放送)

銀座の箸専門店が太鼓判を押す八角形の箸がある。先端は1.5ミリ。八角形にしたことで、従来の物では摘みにくかったゴマ粒や米など極小のものもストレスなく摘める。しかも先端が細いため、料理を口にした時その存在を感じさせず、味わいを邪魔しないのだという。

作ったのは新潟県三条市のマルナオ。木製の大工道具を製造していた会社だ。ところが、本業は大工職人の減少などで売り上げは減る一方。そんな時、3代目の福田隆宏社長は跡を継ぐために、帰郷した。そして、すぐに起きた大洪水で工場の機械が大半使い物にならなくなってしまう。

被害総額1億円は、地方の中小企業にとっては大変な重荷となった。その後、社長に就任した隆宏氏は、「需要が減少し続ける大工道具だけではたちいかない」と腹を括って、大工道具に変わる新規ビジネスを探した。行き着いたのが、箸の生産だった。当初は、なんの変哲も無い箸で、ほとんど売れなかったという。

そんなとき、銀座の箸専門店のひとことが、ヒット製品を生むきっかけとなります。それは、「掴みやすい八角形の箸があったらいいな」というつぶやき。福田社長は八角形の箸を作ります。さらに、小さなものでも掴めるように、先端を1.5ミリという極細にしました。

箸を極細にすると折れやすくなるため、これまでは作られていませんでした。福田社長は大工道具に使っていた黒檀や紫檀といった固い木材を使うことを思いつく。ところが、固い木材は削るのが大変。一膳の箸をつくるのに延二日かかりました。

極細に削った値段は1万5千円、高価なものになりましたがこの製品が消費者の心を掴み、ヒット製品になったのです。今では1億を超える売上高で、同社の主力製品になっている。

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マルナオ (新潟県三条市)
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第70回 中野BC 2016年8月13日(土)放送 (BSジャパン8月18日(木)放送)

第70回 中野BC

2016年8月13日(土)放送

(BSジャパン8月18日(木)放送)

5年で売上高25倍。驚異の成長を遂げた梅酒のメーカーがある。その原動力は女子。のちに“チームなでしこ“と銘々された女性部隊は常識破りの新製品で次々ヒットを飛ばし、業績を大きく押し上げた。

なでしこの次なる新製品は、市場に出回らない巨大な完熟梅を使った梅酒。その新製品には誰もが買いたくなる驚きの仕掛けがあった。なでしこの取り組みにイラストレーター池田奈都子が密着、見事なコラボ作品を製作する。

1958年清酒造りを始めた中野BCは、長久、紀伊国屋文左衛門などの銘柄で和歌山一の酒蔵になる。ところが、バブル崩壊後、日本酒離れが深刻になり、梅酒に力を入れ始めるが和歌山の消費者は自宅で梅酒をつくる習慣があり業績は伸びなかった。

そこで、梅酒にお茶や赤紫蘇、蜂蜜など加えた梅酒リキュールを発売。しかし、ここでも業績を伸ばせなかった。2005年、世はまさに梅酒ブーム、女性の飲酒率が増加する中、女心を掴めなかったのが敗因だった。

大手酒蔵メーカーで修行した中野幸治社長は、「男目線で作った酒やラベルでは女性に受けない。改革しなくては」と女子力の活用を思いつく。彼は女性ばかりの製品開発チームを作るなどして、自社製品のイメージを変えようとした。瓶はワインボトルのようにスリムになり、ラベルもおしゃれなモノに変えた。

ところが、父親の会長を始め、営業幹部の男性陣からは、猛反発をくらってしまう。結果は市場が出した。女性たちによってイメージチェンジしたリキュール梅酒「てまり」シリーズが大ヒット。5年で梅酒の売り上げを25倍に押し上げたのだ。

中野社長はさらに女子だけの企画開発チーム「なでしこ」を立ち上げ、これまでの古い常識を覆した梅酒製品を次々と打ち出した。取材では、来年度の新製品、どこにもないプレミアム感溢れた梅酒の開発現場を訪れ、農家とタッグを組んだプレミアム梅酒にカメラを向けた。

そこには、20代の女子社員と梅酒造りにロマンを感じる南高梅農家の夢が詰まったプロトタイプが…。

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中野BC (和歌山県海南市)
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第69回 喜久屋 2016年8月6日(土)放送 (BSジャパン8月11日(木)放送)

第69回 喜久屋

2016年8月6日(土)放送

(BSジャパン8月11日(木)放送)

世界中の様々な業種の人が工場見学に訪れる、クリーニング会社がある。工場はまるでトヨタのように無駄を省いて動きが止まらない。ラインは6つ。シミ抜き、洗濯、プレス、仕上げまで細かい工程に専属の担当者。衣類のみが次々とラインを動いていく。

埼玉県草加市の工場では、毎日、関東圏68店舗から運ばれた5,000着以上の服がクリーニングされているという。同社が何より凄いのは、ファストファッションの台頭で、厳しいクリーニング業界にあって着々と業績を伸ばしている点。

その原動力は、他社にないサービスの開発だった。通常、クリーニング業界ではスペースをとる在庫はタブー。しかし、喜久屋は、客が好きな時に受け取れる、半年間無料預かりを打ち出した。なぜ、誰もがやりたがらないタブーを冒して儲かったのか?

発想の原点は、労働環境の改善だった。クリーニング業界は衣替えの春と秋が最も忙しく、繁忙期と閑散期がはっきりしていた。とくに繁忙期は過酷な労働を強いられ徹夜で残業という事態も多く見られた。「何とかならないか?」労働環境を改善すべく取り組んだのが、年間通して仕事が平準化するシステム。

納期が先に伸びれば、仕事を分散できるため、あえて客の受取日まで保管するサービスを考えたのだ。そのため、地価の安い郊外に、温度、湿度などを厳重管理した倉庫を設け、年間通じて、工場の作業効率を最大限に引き上げるシステムを構築したという。その結果、預かりサービスで客は増加、一方、4K職場の労働環境も改善し、退社する従業員の数も減った。

さらに、優良クリーニング店と組んで、このシステムを日本全国に広げた。注文はネットで受け、最適地の店に客を割り振って全国規模での効率化をはかったのだ。工場は年間計画で動くため最適の機械にすべて小型化。水道光熱費の大幅削減も可能にした。

非効率と思われてきた在庫をうまく活用して築いた、超効率的な工場システムに世界は注目したわけだ。「常識に捉われてはいけない。非効率と思われてきたサービスに改革の芽があった。」中畠信一社長は振り返ってそう語ってくれた。

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喜久屋 (東京都足立区)
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第68回 大阪糖菓 2016年7月30日(土)放送 (BSジャパン8月4日(木)放送)

第68回 大阪糖菓

2016年7月30日(土)放送

(BSジャパン8月4日(木)放送)

工場の中にミュージアムを作ったり、経営者自らがコスプレで登場したり、珈琲味や松茸味のコンペイトウ、さらに石鹸、リップクリーム、コンペイトウでピアスまで。面白い商品開発で常に注目を集める会社が大阪府八尾市にあった。なぜ、こんな奇策にでるのか?書道家・青柳美扇が工場兼ミュージアムを訪れ秘密を探る。

金平糖は1600年代ポルトガル人宣教師が日本に持ち込んだ砂糖菓子がその起源。織田信長も土産物でもらった金平糖を食べていたという。現在の星型の形になったのは明治に入ってから。1903年、大阪の商人が金平糖製造機を発明したことから全国で大量に生産されるようになった。

大阪糖菓は1940年創業、その後、大阪だけでも40社以上が金平糖製造に乗り出すなどいい時代が続いた。しかし、現在、金平糖を作っているのは大阪に4社、日本でも8社しかない。生き残りをかけて、同社はフランチャイズの飲食店経営に乗り出すなど多角化を計ったが、これが大失敗。9,000万円の負債を抱えてしまう。

この時、野村卓社長(現会長)は「人頼みではダメ。自らなんとかしなくては」と本業回帰の路線を打ち出す。しかし、コンペイトウは古臭いイメージしかなくほとんど売れなくなっていた。会長はルーツのポルトガルを訪ね、砂糖菓子の歴史が今も脈々と引きつがれていることを知り、工場にミュージアムをつくるアイデアを思いつく。

自らもゆるキャラの縫いぐるみを着て、娘とともにコスプレで客を案内。この面白さが受けて、学校や子供会からの見学が相次いだ。ミュージアムも堺市、福岡市にも建設。入場料収入だけで売り上げの1割を稼ぐほどになる。そして、その宣伝効果は計り知れないほどだった。メディアに取り上げられるメリットを知り、続々と奇抜な製品を世に出した。

「コンペイトウは斜陽のお菓子。美味しいかどうかは別にして、少しでも知ってもらえれば」と野村しおり社長はいう。「コンペイトウは甘いけれど、経営は甘くない」。自らコメディアンのように道化の広告塔になって伝統菓子を守ろうとする社長、経営に対する姿勢は大真面目だった。

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大阪糖菓 (大阪府八尾市)
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第67回 田中金属製作所 2016年7月23日(土)放送 (BSジャパン7月28日(木)放送)

第67回 田中金属製作所

2016年7月23日(土)放送

(BSジャパン7月28日(木)放送)

毛穴の中の汚れまで落とす、魔法のシャワーヘッドがSNSなどで消費者の注目を集めている。作ったのは岐阜県山県市の切削加工を得意とする田中金属製作所。真鍮を削って水回りの部品を主に作っていた下請けメーカーだ。

彼らが開発したシャワーヘッドが生み出す気泡は、直径百万分の1メートル、超微細なサイズの泡。ウルトラファインバブルと呼ばれるこの泡は、養殖魚や農作物の成長を促したり、細菌やウィルスの破壊に利用されるなど、様々な分野で活用されてきている。

なぜ、そんな超微細な泡が発生するのか?そこには、田中金属製作所が、長年、受注生産で培った水の流れを制御する技術でつくる水栓の構造に秘密があった。独特の形状をしたそのバルブは、水圧で回転、小さな渦巻き状の水流を数多く発生させることで水の中に含まれる空気を集めて泡にしたのだ。

開発まで2年、100近い設計図の書き直し、サンプルの作り直しを経て最適な構造を見出したという。量販店や百貨店などの実演販売で驚いた消費者の口コミで噂が広まり、5年間で18万本販売するというヒット製品になった。

そもそも何故、部品の受注メーカーが、このような完成品をつくるようになったのか?不況で大口取引先が事業から撤退し、自らも8,000万円の債務超過に陥るなど会社存亡の危機がきっかけだったという。

「自分たちで作って、自分たちで売るしかない」。田中和広社長は、この状況を逆転するため、得意の真鍮を削る技術で、どこにもないシャワーヘッドを作ろうと決意する。さらに、「名もない小さなメーカーがどんなに良いモノを作っても売れない。ならば期待以上の130%の製品をつくろうじゃないか。」

彼は当時注目を集めつつあった、マイクロバブルよりもさらに微細な泡で毛穴の中まで洗浄できる製品を作ろうと決意。2年間、ひたすら試行錯誤を重ねてついに正解にたどり着いたのだ。

そのとき、助けになったのは汎用旋盤を使い手で削る技術だった。全自動コンピューター制御のNC旋盤では、職人がつくる微妙な違いをなかなか作れなかったのだ。町工場の職人技は、最新工作機器より勝る。その実例をまざまざと見せつけられた。

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田中金属製作所 (岐阜県山県市)
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第66回 マツダ紙工業 2016年7月16日(土)放送 (BSジャパン7月21日(木)放送)

第66回 マツダ紙工業

2016年7月16日(土)放送

(BSジャパン7月21日(木)放送)

段ボールといえば荷物を送る梱包の箱。大半の方はそんなイメージを持たれているはず。ところが、かなりの重さに耐える丈夫な紙、クッション性もあり、軽くて、ゴミにもならない。そんな利点を最大限利用して意外なモノづくりを提案した企業が東大阪にあった。マツダ紙工業が作ったのは、段ボール製の家具、テント、簡易更衣室、ロボット、オモチャなど多岐にわたる。

そもそも段ボール業界は、斜陽産業。工賃も20年前にひとつ40円だったのが、現在は20円。人件費も物価も上がっているのに工賃は下がり続けている。工業地帯に必ずあった段ボールメーカーは、工場の海外移転、ダンピング競争などに巻き込まれて廃業するか、大手に吸収合併されるなど数は減少傾向にある。

東大阪の中小メーカーのマツダ紙工業も例に洩れず、サラリーマンを辞めて家業を継いだ松田和人社長は「商売を畳んで、何度サラリーマンに戻ろうと思ったことか」と当時を振り返った。危機を脱するため、段ボール製のランプシェードやワインラックなどを作ってみるが、客のニーズを捉えきれていない製品だったため、全く売れなかったという。

ところが、東日本大震災をきっかけに売れる製品づくりが可能になったという。なんとかサポートできないものかと、避難所にパーテーションになる段ボールを無償で運んだ。さらに、女性が着替えるのに不自由しているという声を耳にすると、簡易更衣室をつくって贈呈、被災した幼稚園には段ボールの机、避難所には衣類の収納ケース。

会社には被災者からの感謝の手紙が次々と届いた。実はこの体験がヒットの種となったのだ。これまで、作る側から何が売れるかを考えていた。しかし、それは消費者のニーズがあってこそ。使う側の視点で考えることを身を以て知った。松田社長は、被災者から喜んで貰えた段ボール家具に目をつけた。

まず、ギャルママたちを募って意見を聞いた。被災地に送った机や収納ケースをさらに改良。机は理論上、700キロの重さに耐えられるよう頑丈にして子供用の製品にした。収納ケースは、自ら自由に装飾できるよう工夫。

細かい努力が実り、手汚れたら捨てられる手軽さが受けてヒットした。「喜んでもらうモノづくりには将来がある。消費者に近い目線で日本一おもしろい大阪のメーカーであり続けたい」将来を展望する松田社長の目に迷いは無かった。

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マツダ紙工業 (大阪府東大阪市)
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第65回 北星鉛筆 2016年7月9日(土)放送 (BSジャパン7月14日(木)放送)

第65回 北星鉛筆

2016年7月9日(土)放送

(BSジャパン7月14日(木)放送)

シャープペンシルやワープロの台頭などで、青息吐息の鉛筆。その鉛筆の良さにこだわり、時代にマッチした製品を開発することで鉛筆の灯を燃やし続けようと頑張る町工場を鉛筆彫刻家・山﨑利幸が取材。鉛筆の良さと温もりを再発見する。

鉛筆の歴史は古く、14世紀のヨーロッパで製図やスケッチ画を描く道具として使われていたという。本格的に製造が始まったのは、1565年イギリス。日本では、徳川家康にオランダ人が献上した鉛筆が現存している。

日本の鉛筆製造の夜明けは、明治初期。石鹸、マッチなどとともに文明開化の利器として定着しはじめるのだった。1919年のヴェルサイユ条約に日本製の鉛筆が使われ、鉛筆先進国の仲間入り。昭和に入り、アメリカとの間で日米鉛筆貿易摩擦が生じるなど、鉛筆は世界でも重要な産品だったことが伺える。

北星鉛筆4代目、杉谷和俊社長は年々同業が廃業していく鉛筆業界の衰退を憂えていた。「鉛筆は我が身を削って人の為になり、真中に芯の通った人間形成に役に立つ立派で恥ずかしく無い職業だから、鉛筆の有るかぎり、利益などは考えず、家業として続けろ。」代々引き継がれてきた言葉を思い出し、時代にマッチした鉛筆開発に取り組む。

試行錯誤の末、たどり着いたのが「大人の鉛筆」。木軸と芯は鉛筆と同じものを、それでいてシャープペンシルと同様に芯だけを入れ替えられるようにした。木の温もりと、ソフトな鉛筆の書き心地、軸は子供用より太くして大人が持ちやすくした。これが、2011年の発売以降、累計百万本のヒット製品になった。

さらに、鉛筆の芯の通電性を利用したタッチペンになるキャップを考案するなど、時代にマッチした機能も付け加えた。さらに、鉛筆製造で出た木屑は木粘土にリサイクル、基軸に伝統和柄をプリントしてデザインもよりお洒落に。鉛筆は時代に合わせて進化、つくる会社もその一歩先をいく進化し続けるメーカーだった。

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北星鉛筆 (東京都葛飾区)
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第64回 万協製薬 2016年7月2日(土)放送 (BSジャパン7月7日(木)放送)

第64回 万協製薬

2016年7月2日(土)放送

(BSジャパン7月7日(木)放送)

阪神淡路大震災で工場全壊、すべてを失い三重県で再起。わずか20年で売上高70倍、開発した製品は300種以上、取引先80社。外用薬に特化した驚異のスーパー中小企業の秘密に書家のHILOKI TANAKAが迫る。

震災後、ビジネスパートナーからも従業員からも見放され、残ったのは外用薬(塗り薬)をつくる機械だけだった。松浦信男社長は当時を振り返り、「当時、会社は誰からも必要とされていなかった。これからは人に必要とされる会社にならなければ」と語る。

新工場でまず取り組んだのは、人の死なない工場にすること。震災の教訓から社員の命を守る工夫を随所に取り入れた。さらに、取引先からも必要とされるため、守りの下請けから攻めの下請けへの転身を試みた。すなわち開発力を強化し、OEMからODMへの経営方針の転換だった。

OEMと違い、ODM(Original Design Manufacturing)すなわち開発を自ら行い、他社にも製品を売れる権利を持つ下請けの形。例えば、A社の依頼で万協製薬が開発した薬は、他のB社やC社にも別ブランドの薬として売る権利があるということ。例えA社から発注が来なくなってもB社やC社との取引があるため、最悪の状況を避けられるのだ。

さらに、取引先を増やして経営を安定させるために常識破りの計画を打ち出す。毎週、新製品を開発し市場に投入するというのだ。開発部署はわずか9人。このわずかな人数で無茶な目標を次々とクリアしていく。気がつけば年間60弱の新製品を開発、販売にこぎつけている。1週間に1つの新製品を出している計算だ。

なぜ、こんなに開発できるのか?その秘密は、塗り薬に特化して作ってきたことと社員のモチベーションの高さにあった。会社には社員の改善提案が壁中に貼ってあり、そのすべてに社長からの評価が書き込んである。優秀な案には賞金も出る。また、社員が寛げるように食堂には5,000冊の漫画。すべて社長の私物だ。休憩中には漫画でも読んで休んで欲しいという気配りという。

工場の一角には社長が趣味で集めたフィギュアを飾った博物館も作られていた。なんと年間1万人の入場客を集めているという。さらに、年に2回、コスプレイベントも開催。人を集めて地元を元気にしようという狙いだ。顧客にも、社員にも、地元にも必要とされる会社である。

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万協製薬 (三重県多気郡)
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第63回 沖縄長生薬草本社 2016年6月25日(土)放送 (BSジャパン6月30日(木)放送)

第63回 沖縄長生薬草本社

2016年6月25日(土)放送

(BSジャパン6月30日(木)放送)

那覇から車で40分、沖縄長生薬草本社には敷地6,000坪の薬草農場が隣接。そこには、世界各国から集めた薬草が1,000種類以上植わっていた。この会社を一躍有名にしたのはウコン(鬱金)。ウコンとは、英語名はターメリック。ただ、カレーの原料に使われるものと健康食品に使われるものは種類が違いワイルドターメリックなどと呼ばれている。

それぞれ、種類があって春ウコン、秋ウコン、紫ウコン、白ウコンなどがあり、漢方では別の薬草として取り扱われている。有名になったのは、大手メーカーがこぞって二日酔い予防をうたって飲料販売してから。しかし、沖縄長生薬草本社は40年以上前から、ウコン中心に取り組んでおり、下地清吉社長は「ウコンの伝道師」と呼ばれている。

下地社長が生まれ育った宮古島は、ウコンなど豊富な薬草の自生地。社長の幼少期、医師のいなかった島では、怪我や病気のとき「おばあ」(祖母)から薬草を処方されたという。「人の健康のため、このおばあの知恵を生かしたい」幼児体験が、薬草ビジネスを始めるきっかけなった。

まず、科学的に良さを立証するため、琉球大学の研究室等と共同で健康食品を開発。さらに、材料の薬草のトレーサビリティーにこだわり、食品の安全性の見える化にも取り組んだ。もちろん無農薬栽培。必ず社長自ら口にしてすべてをチェックする徹底ぶり。自分の管理できる農場で育てた薬草を用い、自ら加工、さらに販売。薬膳料理の店まで自社で作った。いわゆる6次産業化にいち早く取り組んだ経営の慧眼も光る。

社長の夢は、故郷の宮古島に薬草のテーマパークをつくること。すでに用地は取得済みで、園内にはコテージをつくって宿泊もできるようにする計画だという。

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沖縄長生薬草本社 (沖縄県南城市)
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第62回 会津富士加工 2016年6月18日(土)放送 (BSジャパン6月23日(木)放送)

第62回 会津富士加工

2016年6月18日(土)放送

(BSジャパン6月23日(木)放送)

日持ちは普通のフレッシュレタスの4倍、洗わずに食べられ、生野菜独特の苦味やえぐみがないとして、注目を集めているレタスがある。作っているのは、会津若松市の半導体メーカー。完全無菌のクリーンルームで繊細にデータ管理されているため、そのまま生で食べられ、尚且つ劣化が遅いという。

また、苦味やえぐみの原因となるカリウムの量を抑えているので、甘みと旨みが凝縮できたのだ。しかし、カリウムは植物の光合成には必要不可欠な成分。肥料には必ず含まれていて、これが不足すると野菜は育たない。農家もなし得なかった、低カリウムレタスをどのようにして作ったのか?そこには半導体技術者たちの血の滲むような実験の繰り返しがあった。

会津富士加工は大手半導体メーカーの協力工場として半導体を製造していたが、国際競争に敗れた日本の大手が半導体製造を縮小、仕事が全くなくなる事態に追い込まれた。どうやって事業を繋いでいくか?2人の若手技術者から思わぬ提案があった。それは、工場で野菜をつくるというもの。

実は、工場野菜の製造は、肥料や気温、湿度やそれにかかるコスト管理など半導体製造のノウハウは結構役立つのだった。野菜は作れる、しかし、まだ大きな問題があった。どうしても、農家が作る野菜に比べると割高になるのだ。また、販売先も自社で開拓しなければならない。売るためには、工場でしか作れないオンリーワンにしなければならない。そこで辿り着いたのが低カリウム野菜の製造だった。

低カリウムに拘るのには、もうひとつ理由があった。生野菜が食べられない人工透析を受けている腎臓病患者が食べられるからだ。人工透析を受けている患者は、カリウムを血液中から排出できないため摂取を控えるしかなかった。

半導体技術者たちが導いた答えは「野菜をだます」という奇想天外なアイデア。肥料のカリウムをあるタイミングで他のものにすり替え、栄養が注がれている野菜に錯覚させるという。この嘘のような本当の話は不可能を可能にした。会津富士加工はレタスに次ぐ新製品を開発中で、近々発表される予定だ。

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会津富士加工 (福島県会津若松市)
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第61回 ソメスサドル 2016年6月11日(土)放送 (BSジャパン6月16日(木)放送)

第61回 ソメスサドル

2016年6月11日(土)放送

(BSジャパン6月16日(木)放送)

日本の競馬ジョッキーの70%が支持する鞍を作る会社が北海道砂川市にある。そして、馬具とともに有名なのが革のバッグや財布といった革製品。洞爺湖サミットで国賓に贈呈されたというバッグはとくに人気で、百貨店や東京・青山の専門店にはそのファンが全国から訪れるという。

特徴は馬具製造の技術を生かした手縫い。2本針と呼ばれるその独特の製法は、ひとつの穴に2本の針を両側から通し8の字を描いて縫うもので、ミシン縫いに比べてほつれにくく長持ちするという。乗馬中に壊れたら大事故につながる鞍で用いられる製法で、バッグに応用したのはソメスサドルが日本で初めて。

ソメスサドルの創業は52年前。当時は、専ら輸出用の農耕馬用の馬具をつくっていた。ところがオイルショック後の急激な円高で輸出は激減。3億円以上の借金を抱えて倒産寸前に追い込まれた。そして、余った革で試しに作ったコースターが少し売れ始めた。しかし、まだ本格的なバッグの製造は自信がなく躊躇したという。展示会があったパリで、染谷昇社長は同社と同じ馬具がルーツのエルメス本店を訪れます。

社長は、気品ある見事な革製品の数々に触れ、ある決心を固める。それは、馬具の他にもう一つ経営の柱として世界に通用するバッグを作ろうというもの。長年培った馬具製造で、技術にはある程度自信があったものの、これまで一般の消費者向けに革製品をつくることなどが無かった同社では、早速、営業で行き詰まる。無名メーカーの製品などバイヤーに見向きもされなかったのだ。

それでも、足繁く通い、革製品をアピールし続けた。苦節25年、細かい改良をし続けた結果、ようやく伊勢丹との取引が決まった。「これからも馬具屋でありたい。その延長線上に革製品があり、両輪のブランドで世界にアピールしていきたい」。染谷社長は若手職人の育成に力を入れ、馬具の技を活かしたモノづくりを後世に残したいという。

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ソメスサドル (北海道砂川市)
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第60回 カツデンアーキテック 2016年6月4日(土)放送 (BSジャパン6月9日(木)放送)

第60回 カツデンアーキテック

2016年6月4日(土)放送

(BSジャパン6月9日(木)放送)

階段はパブリックスペースにあるもの。家庭でも玄関脇や部屋の空間を邪魔しないスペースにあるのが常識だった。その常識を覆し、リビングのど真ん中に階段をつくるアイデアで、業績を大きく伸ばした会社があった。

「朝起きて家族が居間に集まる。そこで会話が生まれる。家族の絆を考えた時、階段は居間にあるのがベストだった。」とカツデンアーキテックの坂田清茂社長は言う。きっかけは、大手建築会社からの依頼で試しにつくったリビング用の階段だった。自宅にも設置し、その使い心地を徹底的に検証したという。

使用するスチールはできるだけ細くし、ボルトも頭が出ない化粧ボルトを自ら開発。面取りと言われる、溶接痕の研磨作業は10分の1ミリ単位で凸凹が出ないようにした。その結果、スチールとは思えない優しさのある曲線主体の階段が出来上がった。

カツデンのつくる階段は「家族の絆を深める」と評判になり、これまでの受注生産からオリジナルブランドの室内階段に切り替え、耐震偽装問題やリーマンショックで業界全体が危機を迎えた時も乗り切れたのだ。モノづくりの基本は、とことん使い心地の良さを追求することという同社は、そのノウハウを世界に広げようとしている。

2012年から始めた、技能実習制度で受け入れたベトナム人労働者に、技術や開発のノウハウだけでなく、メイドインジャパンのモノづくりの精神をすべて伝承。ベトナムにも会社を立ち上げ、そこからカツデンのモノづくりを世界規模にしようというのだ。

「日本のモノづくりを継ぐのは日本人じゃないとダメというわけではない。スチール階段で培った伝統を海外でも継いでもらえばいい。そうすれば、メイドインジャパンは生き残る。」と坂田社長は言う。日本の後継者不足を解消するのは、外国人でもいっこうに構わない。それより、モノづくりの遺伝子を引き継ぐことの方が、大切なのだという。

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カツデンアーキテック (東京都台東区)
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第59回 福井洋傘 2016年5月28日(土)放送 (BSジャパン6月2日(木)放送)

第59回 福井洋傘

2016年5月28日(土)放送

(BSジャパン6月2日(木)放送)

傘に大島紬やお召し縮緬、スワトウの刺繍、輪島塗など漆塗りの持ち手、超軽量カーボンの骨等々、伝統工芸、技術、文化を凝縮した高級傘をつくり話題を集めるメーカーを絵本作家・谷口智則が取材。

「傘は雨よけではない」と語る橋本肇社長。そのこだわりのモノづくりは、三笠宮殿下、永平寺やトヨタレクサスなどに認められ、一流品の太鼓判を押されている。この会社の凄いところは、奇抜な発想と開発力。

水に濡らせない高級着物の素材や刺繍を大胆に用いた常識破りの発想は、伝統的な素材に最新のコーティング技術を融合させるという確かな開発力に支えられているのだ。製品の平均価格は37,000円。なかには180万円という高額の傘もある。「値段は決して高くない。同じ素材で着物を作れば倍以上の値段になるはず」と社長はいう。

福井洋傘は、橋本社長の父・橋本平吉会長が貧しい農村に現金収入が得られる仕事をつくりたいと、44年前に創業。専ら大手メーカーの下請けを生業としていた。ところが、バブル崩壊後、下請け切りにあう。大手が製造コストの安い中国企業に一斉に乗り換えたのだ。会社には新工場建設の借金だけが残った。

ここから脱下請けの挑戦が始まった。和傘の蛇の目にヒントを得た洋傘の開発が第一弾だった。通常8本の傘の骨を24本にして風雨に負けない頑丈なものにした。色にも拘った。和のテイストを強調するため、冠位十二階に使われていた日本の色彩を採用。傘骨には、メガネのフレームに使われる高機能カーボンを用い軽量化にも努めた。

これが、永平寺に採用され注目を集めるようになる。さらに、畳んでも雫の落ちない生地を地元の繊維メーカーと共同開発。水を弾く蓮の葉を参考にした高密度ポリエステル繊維の超撥水機能はトヨタレクサスに採用される。「私は天の邪鬼。簡単に儲かるモノは作らない。大資本に真似されない奇抜で、たくさん売れないモノづくりを目指す」。

オーダーメイドに近い究極のオンリーワンにこだわる橋本社長は、奄美大島に出向いて撥水加工した糸で織った大島紬の生産を依頼するなど、我が道を行くユニークな商品開発を持ち前の行動力で続けていく。そのモノづくりは、日本文化そのものを凝縮した傘作りに進化しファンをつかんだのだ。

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福井洋傘 (福井県福井市)
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第58回 丸進工業 2016年5月21日(土)放送 (BSジャパン5月26日(木)放送)

第58回 丸進工業

2016年5月21日(土)放送

(BSジャパン5月26日(木)放送)

工場の中は、まるで巨大な蜘蛛の巣。張り巡らされた太糸が60台の旧式のシャトル織機で極厚の帆布(キャンバス生地)を織っていく。最新の機械では1日に1000m織れる生地もシャトル織機では50mしか織れない。太い生地を織るためには太い糸を使うためゆっくり織る必要があり、だからこそ50年前の旧式(シャトル織機)が活躍するのだ。

1号や2号といった極厚の生地は、丸進工業と兄弟会社のタケヤリの2社だけ。ともに、武鑓織布工場がルーツで、兄弟で暖簾分けして現在に至っている。今回、取材した丸進工業は、バブル崩壊で元請企業が海外に工場を移転。オリジナルのファクトリーブランドをつくり、生き残りを賭けた。まず、倉敷帆布というオリジナルのブランドを商標登録、工業デザイナーと組んで帆布による高級バッグを製造。それを自社で立ち上げた販売会社で売るのだ。

帆布の特徴は、丈夫で長く使えば使うほど味が出るというところ。倉敷帆布はメイド・イン・ジャパン人気にも後押しされ、途端に注目を集めた。ところが、帆布をつくる糸は太い糸を何重にも撚ってつくられるが、通常の糸メーカーは、タオル地などの細い糸をつくることが主流で、工場のラインにも極太の糸用はない。そのため、必要な長さの糸が手に入りにくいのだ。

他の帆布メーカーでは、糸をつないで必要な長さの糸を使っているのが現状。糸を繋げば強度が落ちる。クオリティに拘る同社は、糸も自社でつくる決意をする。そのため、糸を撚る機械も自作。絡み防止に鍋のフタを使ったり、様々な工夫を凝らした。帆布をつくる職人たちは、機械もつくらなければならなかった。今、同社ではベテランと若手が組んで、そういったノウハウをすべて伝えようと試みている。

さらに、布を織る工程では、シャトル織機のスピードに気を配りつつ、ゆっくり織っていく。そのため、僅かだが糸と糸の間の空気が絶妙のクッションとなり、味のある生地ができあがるのだ。これは、絶対に旧式の機械でゆっくり編まないと出来上がらない。先人の作った伝統的織り方を頑なに守りつつ、デザインや直接販売という新しい価値を加えて製品作りにのぞんでいるのだ。

実は、取材したyOUさん(フォトグラファー)も帆布愛用者のひとり。自らの持つ帆布のバッグなどへの見方も変わってしまったという。

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丸進工業 (岡山県倉敷市)
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第57回 ニッカリ 2016年5月14日(土)放送 (BSジャパン5月19日(木)放送)

第57回 ニッカリ

2016年5月14日(土)放送

(BSジャパン5月19日(木)放送)

「すべては農家のために」。高齢化が進む日本の農家の救世主になろうというメーカーがある。山あいや急斜面の耕作地が多い日本では、収穫した作物の運搬は重労働。とくに、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの三ちゃん農業が主体となって久しい農家にとって肉体労働の軽減は悲願だった。

このニーズを捉えて躍進したのが、農業用モノレール「モノラック」を日本で初めて開発したニッカリ(岡山県岡山市)。とくに中国・四国地方にはみかん農家が多く、段々畑から収穫物を運搬するのは大変だったという。1966年に初号機が誕生してから半世紀に渡ってヒットは続いた。

ところが、当然、競合他社も参入。農業以外の産業用モノレールへとライバルたちはマーケットを広げる中、ニッカリは独自の道を選んだ。より、農業に特化したニッチを極める戦略だった。農家のニーズを徹底的に探り、モノラックのバリエーションを増やしていった。

勿論、ニッチな市場だけに大量販売は見込めない。しかし、それは他社も参入しづらい条件だった。「ニッチなオンリーワンは景気に大きく左右されない」という同社の身の丈に応じた選択だった。

会社の敷地には、傾斜47度という急勾配のテストコースがある。ここでは、農家から集めた要望に応じて改良が加えられたモノレールのテストが常に行われていた。開発から半世紀経ってもまだ改良が続いているのだ。

そして、別の研究室では今年度末、製品化を予定している製品のテストも始まっていた。重いモノを持ち運べる「農業用アシストスーツ」だ。いくらロングセラー製品があっても、それだけに頼っていては先が見えない、という社長の考えからだ。

ロボット工学を農業に応用、農業一筋でやってきたニッカリは、農家のニーズが蓄えられている。ニッカリだからできる製品づくりを目指すという。

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ニッカリ (岡山県岡山市)
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第56回 浅野撚糸 2016年5月7日(土)放送 (BSジャパン5月12日(木)放送)

第56回 浅野撚糸

2016年5月7日(土)放送

(BSジャパン5月12日(木)放送)

深夜のテレショップ、1時間で8,000万円も売り上げたタオルメーカーがある。このタオルを作ったのは岐阜県の撚糸会社。 撚糸とは複数の糸をねじり合わせて撚ってつくる丈夫な糸のこと。さまざま種類の糸を組み合わせ、加工することで撚糸に独自の性質を待たせられるのだ。例えば、綿の糸とゴムの糸を組み合わせると伸びる弾力性のある撚糸が生まれる。この糸で誕生したのが伸びるジーンズ。この製品がヒットして、同社とその協力工場は業績を伸ばしていった。

ところが、バブル崩壊後、元請けの大手企業が海外に移転。特許をとっていなかった伸びる撚糸の技術も流出してしまう。仕事は激減し、元請けに依存する下請けの厳しさを思い知った。「今、会社を畳めばわずかだがお金は残る」と先代の父から言われたが、2代目浅野雅己社長は諦めなかった。自分が廃業すれば、設備投資したばかりの協力工場も連鎖倒産に追い込まれるからだ。下請けから脱出してオリジナル製品を作ろう。そう決心してから、浅野社長の粘り強いチャレンジが始まった。

そして出会ったのが、80℃のお湯に溶ける糸。使い途がなく誰も見向きをしなかった代物だった。試しに綿糸と組み合わせて撚ってみた。湯につけると…。綿100%なのに伸びる糸が生まれた。電子顕微鏡で見ると残った綿糸が膨張、隙間に空気を纏っていたのだ。喜び勇んで問屋に持ち込むが、全く相手にされない。そう、その価値が理解されなかったのである。

最終製品も自分で作るしかなかった。試しにタオル工場に製品を作ってもらった。縦糸と横糸に伸びる綿糸を使う依頼を、間違えてタオルの突起部分(パイル)に使ってしまったのだ。ところが、この偶然の失敗が奇跡を起こす。軽くて、空気を纏ったようにふわりとして、よく水を吸うタオルができたのだ。

ただ、量産にはまだ問題があった。糸がすぐ絡んでしまうのだ。絡まない糸をつくるためさらに2年間の試行錯誤が必要だった。そして、開発の鬼と化した浅野社長がついに絡みにくい糸を完成。この糸で織られたタオルは、大ヒット商品になった。たゆまぬ努力で自社ファクトリーブランドを手に入れたのだった。

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浅野撚糸 (岐阜県安八郡)
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第55回 淡路麺業 2016年4月30日(土)放送 (BSジャパン5月5日(木)放送)

第55回 淡路麺業

2016年4月30日(土)放送

(BSジャパン5月5日(木)放送)

淡路島津名港の近くに去年新設された淡路麺業の工場。その隣につくられたイタリア料理店「PASTA FRESCA DANMEN」は、打ちたての生パスタが味わえるお店として有名。休日には予約を入れないとなかなか食べられないという。それもそのはず、ここで使われる生パスタは、イタリア料理の名店イル・ギオットーネやポンテ・ベッキオのシェフから太鼓判を押されたもので、クオリティの高さは折り紙付きだ。

麺をつくる淡路麺業は、1909年創業の百年企業。パスタに切り替えてから10年も経っていない。うどんから何故パスタに?そこには製麺会社が抱えた厳しい値引き競争の現状があった。明石海峡大橋が開通し、大手流通が淡路島にも進出。そこで一玉20円で売られる特売品は、地元の消費に支えられてきた製麺会社を廃業の危機に追い込んだ。

「百年続いた暖簾を守りたい」5代目の出雲文人社長は、勤めていた食品会社を辞めて家業を継ぐ。なんとか高付加価値商品で対抗するも、ここでも競争相手が多くうまくいかない。そこで大手がやっていない生パスタの製造に思い切って切り替えたのだ。本場イタリアで改めて修行し、日本中のパスタの名店を訪ねてパスタを極めようとする。ときには何日も通い、厨房に居座って秘密を探った。

パスタに最適な小麦の配合を導き出すため、毎日、仕事が片付いてから試作を繰り返し、ノートには500種類以上のレシピが並ぶほどに。彼の真摯な姿勢に、シェフたちも協力。元うどんメーカーらしいコシのある風味豊かな麺にたどり着いたのだ。営業先も、タウンページで探して試作品を送り続けた。血の滲むような努力は、全国に淡路麺業の生パスタを応援するシェフとの絆をつくった。

「淡路島独自のパスタを作りたい」と、地元の生産農家、漁師を訪ねて麺に練り込む具材、ソースに使える食材を探した。さらに、気候の問題で日本では作れないとされたパスタの原料「デュラム小麦」の生産にも取り組み始めた。難題にぶつかる度に、自ら動き協力者を巻き込んで挑戦する出雲社長。

取材したイラストレーターの池田奈都子さんは「社長はパスタ。麺に練り込む野菜や小麦、具材の肉や魚介類のようにまわりの人を巻き込んでいく。オール淡路島のパスタの誕生が楽しみ」と語った。

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淡路麺業 (兵庫県淡路市)
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第54回 栄光製作所 2016年4月23日(土)放送 (BSジャパン4月28日(木)放送)

第54回 栄光製作所

2016年4月23日(土)放送

(BSジャパン4月28日(木)放送)

電子基板の実装組み立てを生業とする栄光製作所(群馬県富岡市)。元請け工場の海外移転に伴い、受注の8割を失い危機を迎える。「何もしなくても人件費と電気料金はかかる」と勅使河原覚社長。彼は人材をリストラせず、徹底した節電をすることで危機を切り抜けようとする。

工場では、節電担当のエコリーダーが巡回して電気の無駄を徹底的に排除。夏もエアコンは使わない。扇風機のみ。電気の基本料金がピーク時の使用電力を基準に事業所ごとに設定される仕組みを逆手に取り、機械の稼働を30分毎にローテーションさせる。毎朝、朝礼で知らされる前日に使った電力量を発表。全社で節電意識の徹底した刷り込みも実施された。

結果、2年間で55%の電気を削減することに成功した。ところが、この節電運動は経費削減以外のところでも大きな成果をあげる。節電すればするほど、生産量が上がったのだ。実は危機意識を皆で共有でき、生産効率、現場の改善が自発的に徹底され、電気以外の作業の無駄もカットできたのだ。

専門家をして「ここまで徹底した企業はない」と言わしめる栄光製作所。今年、パナソニックやダイキン工業ら一部上場企業と並んで、「省エネ大賞」を受賞する。取材したコピーライターの神谷幸之助氏も「省エネから笑エネ!」とスパイスの効いたコピーを披露し、同社のとんでもない節電大作戦を絶賛した。

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栄光製作所 (群馬県富岡市)
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第53回 東海バネ工業 2016年4月16日(土)放送 (BSジャパン4月21日(木)放送)

第53回 東海バネ工業

2016年4月16日(土)放送

(BSジャパン4月21日(木)放送)

東京スカイツリーの制振装置、明石海峡大橋の揺れ防止、国産宇宙ロケットのバルブ用など、高い精度の求められるバネの製造に必ず指名される会社が東海バネ工業(大阪市福島区)だ。「多品種微量生産」にこだわり、ひとつから注文は受ける。しかし、100個を超えるような注文はお断りするという徹底ぶりだ。職人を大切にし、手作りの優位性をオンリーワンの真似できない技術に昇華させた。

日本ばね工業会が、全国の優れたバネ職人に贈るプラチナ賞で、受賞者33名中14名が東海バネ工業の職人というから驚きだ。実は同社には、名人を生み出す秘密があった。通称マイスター工場と呼ばれる「啓匠館」がその名人製造工場。有望な中堅社員が、名人の下で、ほぼマンツーマンで手取り足取り教えてもらう工場だ。

そこでは、0.1ミリの狂いも許されない冷間成形コイルバネを扱っている。ここで名人の基準を徹底的に叩き込まれる。素材はチタン合金など加工が極めて難しい物。3ヶ月程度ここで学び、再び大型バネなど別の製造ラインで働き、名人基準を工場全体に広げようというもの。全員が超絶技巧を習得するまで何度でも繰り返される予定だ。

東海バネ工業の平均年齢は35歳。とくにここ数年は4大卒の学生の入社がほとんど。中小の製造業では珍しい現象が起きている。なぜ、若い人が集まるのか?政府系金融機関の調査によると、同社は同業他社と比べて年収にして100万円以上高いという。「労働分配率など、誠しやかに言われる経営指標なんか関係ない。もうかった分はできるだけきちんと社員に分配する」(渡辺社長)。トップの考えが人に優しい企業風土を作り上げたのである。

他社ではできない「多品種微量」が実行できるのにも戦略があった。コンピューターが一般的になる前から、顧客のデータ、注文のあったバネの設計データなどをデータベース化し、すべてのノウハウをすぐに取り出せるようにした。勿論、同じ客から再度依頼が来てもすぐに同じものが作れる。

とかく、値引き競争と納期の短縮を迫られる部品業界で、価格と納期は自分で決められる体制を築けたことが飛躍につながった。渡辺社長は30年先を見据えて言う。「創業から百年越えても、我々の技は世代を越えて引き継がれるだろう」と。

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東海バネ工業 (大阪市福島区)
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第52回 宇賀神溶接工業所 2016年4月9日(土)放送 (BSジャパン4月14日(木)放送)

第52回 宇賀神溶接工業所

2016年4月9日(土)放送

(BSジャパン4月14日(木)放送)

宇賀神溶接工業所(埼玉県朝霞市)は、社長を入れて5人の町工場。これまでは、専ら大手の溶接加工を請け負ってきた。しかし、元請け工場の移転、景気によって左右される価格や納期など、町工場ならどこでも悩む問題にいつも直面していた。「受注生産だけだと価格競争になる、待っているだけではダメ」。2代目の宇賀神一弘社長(46)は、オリジナル製品をつくるために動いた。

働く傍ら、2つのデザイン学校に通い工業デザインを学ぶ。自社のオリジナルをつくるにはデザイン力が必要と考えたからだ。それから仕事の合間を見ながら、アート作品やお洒落な日用品の試作をはじめた。作った製品を見本に自分たちの技術力をアピール、自らを“セールス職人“と呼び工場と客の間を駆けずり回った。

このどこにでもある町工場に転機をもたらしたのは、下半身が不自由な少年からの依頼。親の手間をかけないよう通学に使える手漕ぎ自転車を作って欲しいという要望だった。まったくノウハウのないハンドバイクの製造だったが、少年からの熱い思いを聞いて職人魂に火がついた。

それから毎晩、試行錯誤すること1年。曲げや削りといった自社ではできない加工を近隣の町工場に依頼し、4社で協力してやっと完成。 素材はステンレスを中心に軽さと丈夫さを両立、長時間乗っても疲れない座席も自ら設計、電動アシスト機能も取り付けた。

さらに、街で乗っても格好いいと思われるスタイリッシュなデザインにし、2011年のグッドデザイン賞を受賞。高機能にしたため価格は40万円からと高いのが課題だが、高齢者や脚に障害を持つ人以外の自転車愛好家にも販路を広げ、ロットを増やしてコストダウンに繋げようとしている。

工場を訪れた色エンピツの絵描き下田昌克は実際にハンドバイクに試乗して、夢中になったという。「視点が低いのでまるでスポーツカーに乗った気分。ちょ~楽しい!」。下請け専業から“ワクワクをくっつける”町工場へ、2代目社長のチャレンジが開拓する将来が楽しみだ。

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第51回 協和 2016年4月2日(土)放送 (BSジャパン4月7日(木)放送)

第51回 協和

2016年4月2日(土)放送

(BSジャパン4月7日(木)放送)

ランドセル製造で国内2位の鞄メーカー協和(東京都千代田区)。千葉県の工場は国内最大で、1kgをきる最軽量のランドセル「ふわりぃ」は人気を集めている。ランドセルはこどもが6年間背負っていけるもの。軽い人工皮革クラリーノをいち早く導入し、こどもに負担がかからないようにした。

勿論、親の負担も減らすため6万円以上のモノはつくらないという。便利な工夫はするが、必要以上の装飾はしない。6年間使っているうちに壊れてしまうからだ。さらに目立った装飾は、いじめの対象にも成りかねないと配慮している。安いからといって手抜きはしない。殆どが手作業による仕上げで、職人技のオンパレードといっていい。

1日で一人600個つくるのが通常、そこを協和の社員たちは1,000個つくるという。ミシンで縫う工程では、あまりの速さに人工皮革から煙が立つほど。 職人は老若男女、さらに障害を持った社員までバラエティに富む。実はこの会社、65歳で定年だが希望さえあれば何歳でも働ける。年配の職人が若手を教える。

「孫ほど離れた世代だから根気よく優しく接してくれる。だから若手から不満が漏れない」(工場長)。障害者もすべて社員、給与なども健常者と同じだ。産休、育休からの復帰は100%。とことん社員を大切にする。この経営姿勢は94歳で現役の若松種夫社長の戦争体験によるところが大きい。

社長は、フィリピン、パプアニューギニアの激戦地に派兵された。4,000人の部隊で40人しか生き残れなかった。生きるためには野草でもネズミでも生で食べた。それを皆で分けながら命をつないだ。ギリギリの状況でも優しさがなければ生き残れなかった。だから、人に優しい会社でなければ、存在する意味がないという。

社長の思いは専務の息子、工場長の娘にも引き継がれている。読書家の若松秀夫専務はレイモンド・チャンドラーの「プレイバック」からこんな名台詞を引用した。「タフでなくては生きていけない。優しくなければ、生きる資格がない」。協和の社員は、老いも若きも、男も女も、障害者も健常者もみんなタフネス。最新鋭の機械より生産性は高い。

そして、同僚にもランドセルを背負うこどもにも優しい。他社が引き受けない障害者のこども用のランドセルを進んでつくる。震災で被災したこどもにも寄付で募ったランドセルを修理して贈る。だから、感謝の手紙が山ほど送られてくる。それが社員のモチベーションにつながり、働いて良かったと思える会社になるのだ。

取材したミュージシャンのKONTAは、感動してこの会社を応援する曲を即興で披露。武道館を満席にしたバービーボーイズのKONTAの渾身の曲は見逃せない。

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第50回 河合工業所 2016年3月26日(土)放送 (BSジャパン3月31日(木)放送)

第50回 河合工業所

2016年3月26日(土)放送

(BSジャパン3月31日(木)放送)

名もない部品を作っていた町の板金加工屋が一躍世界で有名になった。河合工業所(東京都荒川区)は、不況や元請けメーカーの海外移転などで仕事が一切なくなる危機を全く畑違いのモノをつくることで切り抜けた町工場だ。

実際の12分の1のサイズで家ごとすべて作ってしまうミニチュアドールハウス。趣味でその教室に通っていた妻が「ミニチュアの鍋をつくって欲しい」と、途方にくれる社長に持ちかけたのが始まり。例え名もない部品をコツコツ作っていた町工場とは言え、そこは職人。実物の鍋を見て素材から鍋と取っ手を止めるリベットに至るまですべてを12分の1で再現してしまう。

これはイケるかもしれない。職人もすべて辞めてしまい社長と妻、そして京都で植木職人をしていた娘の3人でミニチュアづくりが始まった。昔と違い、今はインターネットで通販できる。驚くほど精巧に作られた家財道具やドールハウスに世界の好事家は飛びついた。昔、父がやっていた中華料理屋を再現して欲しい、という依頼まで届いた。

時代考証、壁紙、食材に至るまで正確に再現した。食材のキャベツは粘土で一枚一枚葉を重ねて巻いて、切ってもキャベツの切り口になっていた。コンロや調理器具は火にかけて実際に調理ができるようにもした。違うのはサイズだけ。庭は植木職人の娘が再現する。 もはや芸術の域まで高めたその製品が、ミニチュアドールハウスの本場欧米のファンの目に止まるようにもなった。

あるとき、エルメスの職人がヨーロッパから工場兼販売店を訪ねてきた。工場というより工房、間口一間の仕事場で、蹴飛ばし(フットプレス)という足でペダルを踏んで金属を加工する旧式の機械とボール盤を使って次々に珠玉のミニチュアをつくり出す技術に目を丸くしたという。

名もない部品をつくる町工場であったとしても、その職人の技術は、世界基準。メイドインジャパンのモノづくりそのモノなのである。

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第49回 小金屋食品 2016年3月19日(土)放送 (BSジャパン3月24日(木)放送)

第49回 小金屋食品

2016年3月19日(土)放送

(BSジャパン3月24日(木)放送)

納豆嫌いの多い大阪で、あえて本格的納豆で勝負する小金屋食品。1962年、山形出身の納豆職人がアウェーの大阪で腕を試したいと創業。当初は「臭い、食べたくない、よそで売れ」と厳しい洗礼を受けたという。大阪向けに臭いを控えめにした甘味のある味に改良し少しずつ受け入れられるようになった。

ところが、創業者が病で急逝。後をついだのは残された娘たち。姉が社長で、妹が工場長となった。父から引き継いだ借金は年商の2倍、下請けのため薄利多売を求められていたのだ。しかも姉妹は経営も素人、初めての決算は悲惨なもので、税理士から「このままだと5年先は無い」と警鐘を鳴らされたという。

新しい高付加価値商品をつくらないと潰れてしまう。独自の納豆作りを模索するが、肝心の納豆の製法は引き継がれていなかった。姉妹は父が働く記憶を辿りながら、昔ながらの稲藁を使った天然納豆づくりに挑戦を始めた。しかし、どうしても糸を引く納豆は作れなかった。試行錯誤を繰り返しながら、稲藁でしかも大阪で嫌われない父が築き上げた味。それに辿り着くまで約1年を費やした。

天然納豆菌を使った稲藁納豆は、温度、湿度、気温、発酵にかける時間など繊細な作業が求められるため、時間がかかったのだ。姉妹はさらに納豆ドレッシング、納豆ハンバーグなどの新製品を主婦目線で開発、次々とヒットを飛ばした。今年2月には大阪市内に納豆専門店をオープンさせた。

取材したHIP HOPアーティストのDJみそしるとMCごはんは、事業を引き継いだ姉妹の粘り強さに「本当に、ねば~~~ねば~~ギブアップ!粘り強さは男より女の方がある」と感動していた。

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小金屋食品 (大阪府大東市)
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第48回 クロスエフェクト 2016年3月12日(土)放送 (BSジャパン3月17日(木)放送)

第48回 クロスエフェクト

2016年3月12日(土)放送

(BSジャパン3月17日(木)放送)

「命を使って人生の大半の時間を仕事に費やすのだから、それに値する仕事をつくるのが会社の使命」と公言する竹田社長。誰もが無理だとチャレンジを尻込みしていた事業に京都の町工場が挑戦して、見事に成果を上げた。

先天性の心疾患手術の成功率を格段に進歩させる心臓シミューレーターを開発し世界を驚かせたのだ。国立循環器病研究センターとの共同作業で実現したウレタン製の心臓模型は、患者本人をCTスキャンしたデータをもとに、クロスエフェクトの誇る光造形技術で実現したのだった。手術前に模擬手術や患部の詳細な状況を執刀医が把握できるようになったのだ。

この心臓シミュレータープロジェクトは、クロスエフェクトの事業のほんの一端にすぎない。実は京都を舞台にした新しい計画がすでにスタートしていたのだ。「メーカーズ・ブート・キャンプ」と名付けられた計画は、世界各地のベンチャーを京都に集めて、短期間で製品化までサポートしようというもの。

実は、ベンチャー企業のアイデアが実際の商品になるまでには、量産化の壁がある。アイデアやデザインが良くても実用化は2割程度というのが実情。クロスエフェクトを始めとする100社以上の京都のモノづくり町工場が集まってつくる京都試作ネットが、これら世界のアイデアを量産化できるものになるまで手伝うのだ。場所は京都府、市が開発用の工場を準備、京都のファンドが有望なアイデアには資金を融資するという3つ巴の仕組みだ。

クロスエフェクトもヒット商品、夢を実現する工場となるべく、昨年末に新社屋を建設。ドリームファクトリーと名付けて準備万端。工場では、設計図のないアイデアにも迅速に応えるため、デザイン部門も強化。あらゆる不可能を可能にする試みが始まっていた。竹田正俊社長の夢は「シサク」を世界共通語にすることだという。

京都の町工場集団が、世界中のベンチャー企業を京都に集める壮大な計画は着々と準備が整いつつある。さらに、命を救うメディカル事業もさらに強化していく方針。いつの日か京都が「シリコンバレー」ならぬ「シサク・バレー」になることを夢見て。

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クロスエフェクト (京都市伏見区)
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第47回 ハガタ屋 2016年3月5日(土)放送 (BSジャパン3月10日(木)放送)

第47回 ハガタ屋

2016年3月5日(土)放送

(BSジャパン3月10日(木)放送)

「なんでもいいから日本一になれ」。中学校の卒業式に恩師にかけられた言葉を忘れず、35年かけて実現した男がいた。手袋製造で知られる香川県東かがわ市のハガタ屋喜岡達社長(68)のことだ。ハガタ屋は手づくり抜き型専業のメーカー。抜き型とは、プラスチック、紙製品、皮革製品などをプレスして打ち抜く刃物のこと。

ハガタ屋のつくる抜き型は、鋭い切れ味と耐久性が秀でているのが特徴。防弾チョッキに使われるケプラー繊維や鉄の10倍以上の強度を誇る炭素繊維プラスチックも打ち抜けるほどで、長年ハガタ屋の製品を使っているメーカーは、喜岡社長を「抜き型王」と呼ぶ。なかでも凹凸のある素材を打ち抜く3次元抜き型は、ハガタ屋が開発した業界の常識を覆す技術の結晶だった。

社長を含めて職人は4人の小さな町工場が、抜き型で日本のトップを走るようになるまでは簡単な道のりではなかった。中学卒業後、叔父の抜き型工場で働いた喜岡青年は、「日本一になれ」という恩師の言葉を胸に19歳で独立。しかし、道具もカネもなかった。道具店に「3カ月で返せなかったら生涯丁稚奉公する」と啖呵を切り、ツケで道具を買った。

1日にコッペパン1個を3等分して食べ、空腹は水を飲んで紛らわした。叩いて、伸ばして、曲げて、削る。ひたすらこの繰り返しだった。約束通り3カ月で借金を返した喜岡社長を待ち受けていた次の試練は、客の手袋工場が次々と海外に移転したこと。多い時で年間4万通のダイレクトメールをありとあらゆる業種に送り、新規客の獲得を目指した。

そして、他社が一斉に機械化に走るなか、喜岡社長が選んだのは伝統的な手作り抜き型。「皆が左へ向いて行けば、自分は右、そうすれば競争相手が少なくひとり舞台になる」。喜岡社長はひたすら技を磨き、技術の高さが評判になりはじめた。1998年、最大のチャンスが訪れる。自動車メーカーからバンパーに埋め込むフォグランプ用の抜き型を作って欲しいという要望。これまでは平面を打ち抜く2次元抜き型が常識だった。

「これを完成させれば、先生の言った“日本一”になれる」。職人魂に火がついた喜岡社長は、この難題をクリアし、日本で初めて3次元抜き型を実現した職人になった。この3次元抜き型は、日本古来の火造り鍛造と細かいた作業による刃のつくりかたがないとできなかったのだ。苦節35年、恩師の言葉を実現した瞬間だった。次の課題は、技を次世代に伝えること。息子を始めとする3人の弟子に自分の技術をいかに伝えるか。彼の挑戦は続いていた。

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ハガタ屋 (香川県東かがわ市)
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第46回 一山製陶所 2016年2月27日(土)放送 (BSジャパン3月3日(木)放送)

第46回 一山製陶所

2016年2月27日(土)放送

(BSジャパン3月3日(木)放送)

美濃焼で有名な岐阜県土岐市。家庭で使われる陶製品の一大供給地だ。ここにコピー製品と闘い続け、ついに不可能と言われていた製品を誕生させた親子がいる。一山製陶所の伊藤嘉基社長と伊藤啓二会長の二人だ。

彼らは、北アフリカのタジン鍋にヒントを得た、完全無水の陶器製鍋を開発する。陶器の熱伝導率の低さや蓋の内側を特殊な形状にすることで、食材から出た水蒸気を一切逃さずに調理できる鍋をつくったのだ。

普通、鍋は水蒸気を逃すための小さな穴が蓋に開けてある。これは食材や水を熱して気化したときに増えた体積で蓋が飛ばされないために設けられた穴。同時に、食材の栄養分や旨みも水蒸気として外に漏れてしまうのが難点だった。これが、陶器だと熱伝導率が低いため、鍋の中の体積が急激に増える前に液体に還元できるという利点があるのだ。

ところが、陶器には難点があった。密閉性を持たせるのが難しいのだ。そもそも、陶器には歪みがあり、それが趣を出すため美術品としても高く評価されてきたのだ。陶器で高い密閉性を実現する。その難題に、一山製陶所が挑戦した。

1957年創業の一山製陶所は、湯飲みや茶碗を海外へ輸出していた。ところが、1973年、変動相場制による円高で一気に業績は落ち込む。一時は1億5000万円の負債を抱えるほど、経営は行き詰まってしまう。

救ったのは、同業からは邪道と揶揄された骨壷の製造だった。ところが、これも安い海外製品に取ってかわられ新製品の開発を余儀なくされる。陶器のビールジョッキ、ブームを先取りした焼酎サーバーなど次々に新しい製品を開発するが、それも1カ月も経たないうちに模造品が出てきてしまう。

「絶対に真似されないモノをつくってやる」伊藤親子の不屈の精神と開発魂は、ついに、無水で調理できる陶製の鍋の開発に至るのだ。模造品と闘う中小企業の親子の物語を追った。

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第45回 エンジニア 2016年2月20日(土)放送 (BSジャパン2月25日(木)放送)

第45回 エンジニア

2016年2月20日(土)放送

(BSジャパン2月25日(木)放送)

ネジの穴が潰れてドライバーで回せなくなったネジをはずす。そんなニッチなニーズに応える製品で、累積販売260万丁の記録を打ち立てた会社がある。大阪市東成区の工具メーカー「エンジニア」だ。製品のネーミングもユニークで、ネジザウルス、鉄腕ハサミ、ネジバズーカなど遊び心満載。しかし、このネーミングやニッチなニーズの探り方には東大工学部卒の社長による綿密な理論があった。

父の要望で大手造船会社から家業の工具メーカーを継いだ髙崎充弘社長。ヒット製品を生むコツを聞こうとして見せられたのが、キャビネットいっぱいに詰め込まれたファイル。これまで20年間で製品化されなかったり、製品化したもののさっぱり売れなかった製品に関するおよそ800件のアイデアがその中に書き込まれていた。

数々の失敗の中から生まれた大ヒット工具ネジザウルスだった。失敗と成功この違いは何か?ここで髙崎社長は東大工学部卒の頭脳を駆使して分析した。たどり着いたヒットの法則はMPDP戦略だった。M(マーケティング)、P(パテント=特許)、D(デザイン)、P(プロモーション)。これが四位一体となってヒットは生まれる。

まず、M=マーケティングでは、消費者の多数意見に注目するのではなく1%以下の少数のニッチなニーズを徹底して探る。そこにこそ金脈が眠るという。実際、頭の低いトラスネジが回せるネジザウルスの改良品は1000人中7人の客が望んだものだった。

次にP(パテント=特許)。社員の6割が特許に関する国家資格を持つという徹底ぶり。もうひとつのDはデザイン。エンジニアには、社長が銀次郎と名付けた切り札がいた。彼のデザインは常識の範疇を超えている。プロ用工具専門だったエンジニアが、一般ユーザーに愛され、飛躍的な売り上げを記録したのは彼の格好いいデザインによるところが大きい。

最後はP(プロモーション)。即売会、展示会では映像、実演販売を徹底して客の注意をひく。ゆるキャラ、アニメ、変わったネーミングと兎に角目立つことをなんでもやる。しかし、その根底にあるのは、困った客の助けになる製品をつくりたいという思いだった。頭の出ていないネジを回す、新製品のネジバズーカなど製品化まで10年かかったのだ。東大出の2代目社長が築いた会社はユニークで泥臭いモノづくりに拘った会社だった。

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エンジニア (大阪市東成区)
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第44回 和田メリヤス 2016年2月13日(土)放送 (BSジャパン2月18日(木)放送)

第44回 和田メリヤス

2016年2月13日(土)放送

(BSジャパン2月18日(木)放送)

アパレル業界のプロから“空気を編む”と絶賛されているニット生地メーカーが和歌山にある。工場には大正時代の吊り編機を始めとする骨董品のような編機が120台ずらりと並び、1時間に1メートルしか編めない超低速で動いている。まるで、半世紀前にタイムスリップしたかのような感覚に襲われる。

ニット編機は、80年台のバブル期には、大量生産に向いた高速編みが可能なシンカー編機にほとんど切り替わった。ところが、和田メリヤスは頑なに吊り編機にこだわり、時代の流れに逆行するモノづくりを選んだのだ。もはや吊り編機は世界に千台ほどしかなく、和田メリヤスの工場に120台、スペア用に買い占めた機械が倉庫に300台あまり、ほとんどこの会社に集中しているのだ。

この流行に反旗を翻したかのような経営に舵を切った職人が和田メリヤス2代目社長の和田安史さん。“和歌山の変人”と呼ばれる人物だ。 「ライト兄弟も飛行機を飛ばすまでは変人扱いされていた。」と変人扱いされることを喜んでいるかのようにも見える。

同業がほとんどシンカー編機に切り替え、大量生産に邁進するなか、効率はその100分の1という非効率を選んだ家族経営の和田メリヤスは1ヵ月2万円の極貧生活を強いられることになる。生活と工場を支えたのは頑張り屋の社長夫人だった。「私はもっと働くさかいに、あんたは勉強頑張ってや」。妻のこの一言が、和田社長の職人魂に火をつけた。

最新鋭のシンカー編機より、旧型の機械のほうが強度が強い良いニットが編めることに気がついていた社長は、その機械が手足のように使えるよう改良。専門書をひたすら勉強したという。さらに経済書なども読み漁り、量の時代のあとには、必ず質の時代が訪れることを確信したのだった。

結果、カシミヤのような柔らかい風合いをコットンのニットでつくる技術を開発する。空気を纏ったような不思議な着心地を演出する生地の誕生である。それでも、会社の経営が安定するのはようやく3年前。貧乏に耐えながらひたすら信念を貫いたのだ。

取材したニットを使った芸術の第一人者、力石咲は、「これまで手編みが最高に温かいと思っていたが、考えを180度覆された思い。これから、私の作品も変わっていきそうです」と和田夫婦のモノづくりに打ちのめされたと語る。

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和田メリヤス (和歌山県和歌山市)
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第43回 トーホー 2016年2月6日(土)放送 (BSジャパン2月11日(木)放送)

第43回 トーホー

2016年2月6日(土)放送

(BSジャパン2月11日(木)放送)

創業65年のトーホーは、手芸用のビーズを20カ国以上に年間200トンを輸出している世界トップメーカー。最高級品の「アイコビーズ」の誤差はわずか0.01ミリ。均質なサイズのビーズをつくれるのは、世界でもこの会社を置いて他にない。色の種類は1,000色以上。様々な形状の製品を作っており、製品数は1万種を超える。

トーホーのモノづくりを支えているのが、ビーズ職人たち。ビーズの利用者の多くは女性だが、工場の職人は殆どが男性、1,300度に熱したガラスを細長く30メートル引き伸ばし、細さを均一に保って裁断。さらに切断したビーズを700度で加熱し仕上げていく。面倒な工程をひとつひとつこなし、一粒一粒、誤差のない製品を生み出していく精度が求められる過酷な仕事だ。

“打ち込め魂一粒に”。トーホーの工場やオフィスに貼られた創業者のことばである。職人たちの一粒一粒へのこだわりは創業者の精神を引き継いだもの。それを支えているのが、世界一のビーズを作っているという自負。皇室の美智子皇后や雅子さまが使うビーズ製品にも使われているのだ。

トーホーの素晴らしさはモノづくりにとどまらず、ガラス文化とビーズの魅力を伝えるための企業ミュージアムをつくり地域貢献しているところ。この会社を訪れたのは、大阪出身の書道家・青柳美扇。トーホーのモノづくり精神に触れ、それを書で表現する。

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第42回 浜野製作所 2016年1月30日(土)放送 (BSジャパン2月4日(木)放送)

第42回 浜野製作所

2016年1月30日(土)放送

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夢をなんでも叶えてくれる。まるでドラえもんのポケットのような町工場がある。東京都墨田区の板金・プレス・機械加工の会社、浜野製作所だ。ロボットから電気自動車、風力発電装置などニッポンの未来を占う最先端の技術にも果敢に挑戦し、形にしてきた。そんな町工場を見ようと幼稚園児からOL、大学生やプロの職人たちが見学に訪れているのだ。

浜野製作所のポリシーは「絶対に仕事を断らない」こと。アイデアをなんとか形にしたい。大学の研究室やベンチャー企業からの相談は多く、彼らが自由に使えるよう工場の前に「ガレージスミダ」というワーキングスペースまで設けているのだ。素晴らしいアイデアはあるが、その8割は製品化に至らないのが現実。ガレージスミダでは、そういった客と浜野製作所のスタッフが一体となって試作品製造までこぎつける。

ただ、浜野製作所の歴史は決して順風満帆ではなかった。先代社長の父の死で2代目を継いだ現社長。彼を襲った不幸は自宅兼工場の火災。すべてを失った彼の手元には、1万円の手動機械2台と焼け残った金型だけ。心の支えは父から引き継いだ職人の誇りだった。

「来た仕事は絶対に断らない」と誓い、それからは死に物狂いで働いたという。気がつけば、難しい仕事も挑戦してくれると評判になり、大学の研究室やベンチャーからの依頼がたくさん来るようになっていた。

写真界の重鎮、山岸伸はそこでニッポンのモノづくりの真髄を見ることになる。赤いおもちゃ箱のような工場から次々と産み出される、設計図すらない製品の数々。彼はこの感動をどんな写真で表現するのだろうか?

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浜野製作所 (東京都墨田区)
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第41回 ワタオカ 2016年1月23日(土)放送 (BSジャパン1月28日(木)放送)

第41回 ワタオカ

2016年1月23日(土)放送

(BSジャパン1月28日(木)放送)

大手雑貨専門店バイヤーが注目しはじめたメイド・イン・ジャパンがある。ヤスリの専門メーカーが初めてつくったという爪ヤスリと踵ヤスリ。これまで、宮大工の道具を補修するためのヤスリなどを専門に作っていた老舗の製品だ。お堅い老舗が、消費者に直接働きかけた新製品を出すには訳があった。

広島県呉市仁方は、日本で最もヤスリの出荷が多いところ。なかでも、仁方にヤスリ製造を持ち込んだとされるワタオカは、ヤスリ専業の百年企業。しかし、ワタオカを始めとするヤスリ産業には暗い影が落ち始めていた。安い輸入品、グラインダーなど機械式のヤスリの登場。さらに職人の高齢化といった問題に喘いでいたのだ。

最盛期、仁方に120社あったヤスリメーカーも今や30社に減り、このままでは、日本の名工たちの技を支えてきたヤスリの伝統が途絶えてしまう。とくにワタオカは、宮大工のノコギリを研ぐ目の非常に細かい和ヤスリをつくっていた。江戸時代、刀鍛冶だったワタオカの技術でつくられたヤスリの製法を引き継いでいる職人は、ワタオカにも70を超えるベテランひとりだけ。

「もうヤスリはダメかもしれない」。4代目を継いだ女性社長は、半ば諦めながらも綿岡家のヤスリを知るためそのルーツを調べた。戸籍、過去帳、資料を調べ家系図をつくったのだ。そこには、刀鍛冶だった祖先から、富国強兵の時代にヤスリ製造に舵を切り、そして高度経済成長時代を支えたニッポンのモノづくりの源流があった。

呉にヤスリ製造のノウハウをはじめて持ち込んだのも、ワタオカの先祖。そこに刀鍛冶で磨いてきた研ぎの技術が加わり、真似できないモノづくりが始まったのだった。ワタオカが50年前につくった職人の道具を研ぐヤスリ「白鮫」の目を顕微鏡で見たとき、その技術の素晴らしさに感動し、決意が固まる。

「私の代で、白鮫(和ヤスリ)の伝統の灯を消すわけにはいかない」。社長は、雑貨店を営んでいた娘、事務職だった妹をヤスリの工房に引き込んだ。そこで誕生したのが、白鮫の目の細かさを持った新製品、爪ヤスリだった。ミクロン単位で目(刃)を3方向から刻むワタオカの爪ヤスリは、どの方向からもきめ細かくなめらかに削れるヤスリだった。

幼い子供を抱えながら、娘もまたこの新製品を必死で売り込んだ。これまで、やったことのない商売、取引先との交渉は苦労の連続。しかし、メイド・イン・ジャパンのモノづくりは、プロのバイヤーの目にとまるようになった。そして、工房では、娘の発案で新製品の巻き爪用のヤスリの開発が始まっていた。

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第40回 宮崎椅子製作所 2016年1月16日(土)放送 (BSジャパン1月21日(木)放送)

第40回 宮崎椅子製作所

2016年1月16日(土)放送

(BSジャパン1月21日(木)放送)

椅子好きマニアを唸らせる木製の椅子メーカーを、スマホのCM出演で人気沸騰中のフォトグラファー東真子が取材。納得がいくまで、何度でも作り直すという拘りの職人技を捉えていく。

宮崎椅子製作所は、元は婚礼家具につきものの三面鏡の椅子を作っていた会社。大手家具チェーンのOEM(委託生産)が主な仕事だった。1990年代後半、発注元から「あと3年で国内製造をやめる」と事実上の下請け切りを言い渡される。

「事実上の死刑宣告。死んだと思っているので、これからは自分の創りたいモノだけつくる」2代目の宮崎勝弘社長は廃業の腹をくくって、拘りの椅子のみをつくる専業メーカーへの道を選択する。

世界中どこにもない美しい椅子を創りたい。社長は人づてに椅子のデザイナーを探し回り、ようやく出会えたのがイタリアで家具のデザインを学んだ村澤一晃氏。社長の熱意にうたれ一緒に国産のオリジナルブランドをつくることになった。1脚の椅子に3年も4年もかけて、納得いくまで製品化しない。そのこだわりが、厳しい椅子愛好家たちの胸に響いた。

1脚4万円から10数万円もする椅子。受注生産のため買ってから届くまで半年近くもかかってしまう。それでも、宮崎椅子製作所の椅子でないとダメだという客が数多くいた。デザインだけでなく機能性、細部まで手作業で極めたその椅子の数々は、もはや芸術作品の域まで達していた。

さらに、宮崎椅子製作所の作品を見て、自らもこんな椅子を創りたいという職人志望の若者が全国から弟子入り志願してくるようにもなった。「いずれ社長のつくる椅子を超える作品をつくりたい。」生き生きした顔で夢を語る若い職人の姿が工場の半数を占めるようになった。

大手に見捨てられ、ヤケクソでつくり始めたこだわりの椅子。そのモノづくりの遺伝子は確実に未来に繋がれていた。

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第39回 フィル 2016年1月9日(土)放送 (BSジャパン1月14日(木)放送)

第39回 フィル

2016年1月9日(土)放送

(BSジャパン1月14日(木)放送)

2015年10月、大阪市大正区に体験型の壁紙専門会社の店舗兼本社がオープン。他社にない品揃えと奇抜なデザイン、日本の規格外のサイズの輸入壁紙などで初日から行列ができるほどの注目ぶり。注目を集めたのは「WALPA」「壁紙屋本舗」などネットでは絶大な人気を誇る壁紙販売会社のフィル。

もともと、壁紙を貼る内装工事を請け負っていた会社だが、工賃の安い建設業界の習慣で、仕事をすればするほど赤字になり経営は火の車だった。あと3ヶ月で職人の給料が払えなくなる。そんなどん底で、濱本社長が決断したのは、本業の工事請負をキッパリと止め、副業だった壁紙の販売に一本化することだった。

どこにもない壁紙を求めて、壁紙文化の歴史があるヨーロッパにあてもなく渡った社長が、そこで運命的な出会いをする。展示会で見たオランダ人アーティストの作品に目が止まり、飛び込みで交渉、日本での独占販売権を獲得したのだった。日本では、これまで壁紙は白かグレー、そこに大胆な柄の輸入品を引っさげて参入したフィルの商品はDIYブームにも乗って売れに売れる。わずか4年で売上高19億円の企業に成長を遂げる。

ネットで市民権を獲得したフィルが次に打って出たのは、またもや常識破りの戦略。コストのかかる実店舗での販売を強化したのだ。店では、毎月、壁紙を貼るワークショップ、実物大の見本を展示するプチ博物館など自らが手に触れ体験できることを重視したのだ。「壁紙を売るのではなく、楽しいを売る」DIYの楽しさを体験してもらい、壁紙文化を浸透させようという狙いだ。

おしゃれでカラフルな本社を訪れた立体切り絵作家SouMa。彼女は、見たこともない壁紙とその楽しさを伝えようとするフィルのスタッフに触れ新たな創作意欲がわいた。立体的に見える壁紙を3Dにしてより、質感を与えようという試み。彼女の作品を目にした、フィルの社員からは感嘆の声が上がった。

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第38回 ソルテック工業 2015年12月19日(土)放送 (BSジャパン12月24日(木)放送)

第38回 ソルテック工業

2015年12月19日(土)放送

(BSジャパン12月24日(木)放送)

東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)。当時、貴重な労働力「金のたまご」と言われた中卒の集団就職組。そこから這い上がって企業、日本有数の機械メーカーをつくった男の立志伝をクリエイティブディレクターの田中淳一が取材する。

集団就職で印刷会社に勤めた高塩吉治さんは、自動的にラベルシートがあれば楽なのにと実感していた。秋葉原に通い、夫人とのデートもアキバでパーツ巡りだったというアキバ少年は、独立して早速、自分で設計、組み立ててみる。それ以来、ラベルやシールを切る工作機械のメーカーとして歩むことになった。自らを永遠のアキバ少年と語る創業者の発明は実に200種に及ぶ。

現在の受注もほとんどがオーダーメード。それだけに、彼の痒い所に手が届く気配りとなんでも自分で作るという発明魂が、ソルテックでないと作れない数々の製品を産み出してきた。言われなくても怪我をしないように角を取る、誰でも使えるように扱いやすくする。また、修理が簡単で壊れにくくするためにシンプルな構造にするなど。中学卒業後、印刷工場で積んだ現場の苦労が生きた形だ。

現在、父親のモノづくりに臨む背中をみてきた息子二人が、父親のように格好良くなりたいと跡を継いでいる。集団就職で上京した金のたまごが、アメリカンドリームならぬジャパニーズドリームを成し遂げた。そしてそれを支える妻の内助の功、父の意志を継ぐ息子たち。オンリーワンの職人魂と家族の素敵な人間ドラマを追った。

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第37回 渡辺教具製作所 2015年12月12日(土)放送 (BSジャパン12月17日(木)放送)

第37回 渡辺教具製作所

2015年12月12日(土)放送

(BSジャパン12月17日(木)放送)

国内の地球儀のトップメーカー渡辺教具製作所。社長の夫の死で突然、事業を引き継ぐことになった専業主婦の渡辺美和子さん。(現在の会長)就任して、会社が10何年もの間赤字続きだと知り愕然とする。学校教材が大半を占めていた渡辺教具にとって少子化で、経営が厳しくなっていたのだ。

立て直すため、経費をギリギリまで切り、自分の報酬も半分に下げた。さらに、65歳以上の職人を3人もリストラせざるを得なかった。「一番最初の嫌な仕事だった」という。さらに、学校中心の販売ではやっていけないと、新しい販路を開拓するため、日々、営業に奔走する。

これまで付き合いのなかった相手が、すぐに取引を始めてくれるわけがない。それでも止めなかった。嫌なことがあっても常に笑顔をモットーに営業した。その甲斐あって、チャンスが訪れる。大手文具店で開かれる地球儀フェアに参加できるという。そこで、地球儀製作の実演のイベントをしかけた。

実演で披露した匠の技が、百貨店バイヤーの目に止まり、取り扱いが決まったのだ。渡辺教具店は1937年創業の老舗地球儀メーカーで、当時から磨いてきた職人技は、本物志向のプロも認める匠だったからだ。それまで、学校中心に収めてきた地球儀は子供目線のものが、殆どだった。

しかし、昔ながらの手貼り地球儀が大人に受けることを知り、地球儀の中身も国名などが一切記されていないデザイン性の高いモノやこれまでなかった「夜の地球儀」、月球儀など天文ファンの大人好みのバリエーションも増やしていった。この大人が欲しくなる製品づくりが功を奏し、赤字はわずか2年半で解消。

現在は、地図のデザイン会社で働いていた長男が社長を継ぎ、三男も母親譲りの営業で会社を支えるようになる。息子二人が加わり、産学連携の取り組みも始まった。 大学と共同で最新データを詰め込んだ火星儀の開発だ。 10年間一度も黒字になってなかった会社をたて直したのは、地球儀づくりの伝統をなんとか次の世代に残そうとする創業家家族の絆だった。

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渡辺教具製作所 (埼玉県草加市)
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第36回 シンコーメタリコン 2015年12月5日(土)放送 (BSジャパン12月10日(木)放送)

第36回 シンコーメタリコン

2015年12月5日(土)放送

(BSジャパン12月10日(木)放送)

自分の子供を是非こんな会社に勤めさせたい。そう思わせる中小企業が滋賀県湖南市にあった。福利厚生が充実している世界企業のトヨタですら従業員満足度は77.2%。その中で社員満足度86%という驚異的な数字をあげているのだ。何が凄いのか?社長曰く「キーワードはおせっかい」という。

それは、社員ひとりひとりに行き届く社長の気配りにつきる。毎年、全員参加の海外旅行はお小遣い付き、スーツ手当に誕生日手当は当たり前、儲かった時は山分けの臨時ボーナス。さらにプロレス?手作り結婚式?成人式の演出?子育て面談?等々、まさに、おせっかいの極め付きとも言える「社員家族主義」という主義が満足の秘密。

何の会社かというと、サビ、腐食、磨耗を防ぐために金属やセラミックスを溶かして吹きつける溶射のパイオニア。他社では不可能と言われる複雑な形状のものまで溶射してしまう凄腕職人集団だ。工場現場の仕事はかなり過酷。宇宙服のような防塵服を着用し、ときには2時間以上もエアポンプで空気を送り込みながらの作業が続くこともある。昔は工場見学に来た就職希望者のほとんどがその光景を見て、あまりの3K、4Kぶりに逃げ出したという。

そこで社長のとった作戦は徹底した「おせっかい」だった。この作戦が功を奏し、社員は増え、平均年齢も徐々に下がっていった。もちろん、モチベーションは高く、それゆえ業績も右肩上がり。悩みの種は、溶射の技術が高すぎてコーティングが長持ちするため、再発注まで20年を要するということ。常に新規開拓していかないと立ち行かないのだ。

しかし、社長から引き継いだ会社の「おせっかい」精神は、営業先でも功を奏し、今や取引先は3,000社を超えるという。取材した書家のHILOKIさん、ナレーションを読んだキムラ緑子さんも思わず涙した感動の企業だ!

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シンコーメタリコン (滋賀県湖南市)
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第35回 一平 2015年11月28日(土)放送 (BSジャパン12月3日(木)放送)

第35回 一平

2015年11月28日(土)放送

(BSジャパン12月3日(木)放送)

宮崎市の商店街のお寿司屋さんがパンケーキで世界進出した。それもただのパンケーキではない。材料は九州各県から集めた、オール九州のパンケーキだ。その名も「九州パンケーキ」。九州の農家がつくった厳選されたお米、麦など雑穀でつくったもの。

社長の村岡浩司さんが目指したのは、九州パンケーキを世界ブランド化すること。パンケーキを売ると同時に、廃れゆく九州の農業を元気にする。また、九州の名も世界に知らしめ旅行者も呼び込もうという壮大な計画だった。

台湾に進出した九州パンケーキカフェは、1ヶ月先まで予約で埋まることもあるほどの人気ぶり。近々シンガポールにも店舗がオープンする。村岡社長のバイタリティは父親譲り。寿司屋を開業した父は、寿司にマヨネーズを使うという当時の常識を破った「レタス巻き」というメニューを50年前に考案するアイデアマンだった。

この遺伝子を継いだ村岡社長は商店街の寿司屋にとどまらず、オール九州の農産品でブランドパンケーキをつくるというアイデアを打ち出したのだった。一軒一軒、自ら訪ねて農家を口説き、3年間、毎日試した粉の配合。そして、ついに飽きのこない最適の組み合わせに出会うのだった。

取材したのはクリエイティブ・ディレクターのAZZAMIさん。彼は食のアートで九州パンケーキプロジェクトを応援しようと考えた。彼がつくったのはパンケーキの曼荼羅だった。

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一平 (宮崎県宮崎市)
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第34回 三義漆器店 2015年11月21日(土)放送 (BSジャパン11月26日(木)放送)

第34回 三義漆器店

2015年11月21日(土)放送

(BSジャパン11月26日(木)放送)

蒲生氏郷が会津にもたらした伝統工芸会津漆器。400年を超えるその伝統を守りながら、尚且つ革命を起こそうと挑戦を続けている中小企業がある。伝統は守るだけでは廃れてしまう。時代の要請にあった形に変貌してこそ日用品なのだ。

開発したのは電子レンジで使える漆器、なんとペットボトルの原料の樹脂で成型、その上に漆を塗った製品。随分と反発は覚悟したがこれが受ける。さらに、安い中国製の木製食器に会津伝統の漆を塗って付加価値をつけた比較的安価な漆器。これがヨーロッパでも支持を得て会社も順調に伸びていった。

ところが、東日本大震災が起き、風評被害で輸出がストップしてしまう。このままでは、ダメだ。再び国内に目を向けた現在の社長は、偶然あることを知り愕然とする。震災の避難所で使ってもらおうと寄付した食器が使えないとわかったのだ。震災後、被災地では水が乏しく、洗わなければいけない食器はかえってお荷物だったのだ。

「使ってもらえるモノをつくる」と様々な製品を世に出してきた三義漆器店にとって目からウロコ、原点を彷彿とさせる出来事だった。社長はすぐに動いた。水をほとんど使わなくても洗える撥水性のいい器の開発だった。度重なるピンチを教訓に変え、伝統を確信することでその技を守る、相反するテーマに挑戦する中小企業の奮闘を追った。

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三義漆器店 (福島県会津若松市)
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第33回 フィルノット 2015年11月14日(土)放送 (BSジャパン11月19日(木)放送)

第33回 フィルノット

2015年11月14日(土)放送

(BSジャパン11月19日(木)放送)

どこにでもある町の手芸教室が、一躍、世界のエンターテイメント産業が注目する企業に!そんな夢のような話を実現したのが大阪府三島郡島本町に工房を構えるフィルノットという中小企業。色や輝きが次々と変わる光の装飾を服に施すのが主な仕事で、工房には女性創業者とその娘、息子(社長)、職人を合わせて6人しかいない。

彼らは、光ファイバーを手芸教室で培ったマクラメ編みなど複雑な編み方で結んで、LEDとは全く違った柔らかい光装飾を作り出す。この世界を驚かせる技術は、偶然の産物だった。当時、手芸教室の先生だった創業者が、たまたま光ファイバー工場を見学していたとき、思わず好奇心で光ファイバーを結んでしまった。すると、結び目から光が漏れ、美しく輝いたのだ。

光ファイバーは電気信号を光に変えて情報を伝えるケーブルとして使われるモノで、できる限り真っ直ぐ光が届くように強く曲げたり、結んだりするのはタブーだった。それを思わず結んでしまい思わぬ特性を発見。紅白歌合戦など舞台衣装や大型娯楽施設のショーでお馴染みの光る装飾に発展していく。

これも、光ファイバーを偶然結んでしまったのが手芸教室の先生だったことが、発明につながったのだ。「これを事業にしよう!」と会社を起こした手芸教室の先生。そこに大型娯楽施設から150着の発注が入ってきた。手芸教室からスタートした零細企業に1億円を超える仕事が舞い込んだ。当時3人しか居なかったスタッフで必死に納期に間に合わせたという。フィルノットが一躍その名を轟かせた瞬間だった。

フィルノットの技術を知ったデザイナーから次々と依頼が入り始めた。大変になった事業を手伝うため、娘と息子が仕事を辞めて母の事業を手伝い始める。ところが、フィルノットに来る依頼は一品モノが多く、継続性がほとんどなかった。経営は全く安定しない。なにか技術革新をしなければすぐに飽きられてしまう。

安定経営という難問を抱えたフィルノット、ここに思わぬ救世主が登場する。コンピュータで制御し、光ファイバーに光を送り込む光源装置の小型化に成功した企業の協力を得られたのだ。これで、色や光を人の動きに合わせて自在に変えることができる。第2の技術革新は大手の目に止まった。サンリオピューロランドの25周年パレードの衣装を作って欲しいというオーダーをとりつけたのだ。

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フィルノット (大阪府三島郡)
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第32回 丸武産業 2015年11月7日(土)放送 (BSジャパン11月12日(木)放送)

第32回 丸武産業

2015年11月7日(土)放送

(BSジャパン11月12日(木)放送)

黒澤明監督の『乱』では1400領もの甲冑を納品、映画やテレビドラマ、時代祭などの伝統的イベントで使われる鎧兜を一手に引き受けているオンリーワン企業が鹿児島にあった。丸武産業では元々、竹の継竿を作っていた。しかし、グラスファイバーやカーボン素材の釣竿が主流となり受注は減っていったという。

そんな時、会長が趣味で収集した骨董品の兜を修理して飾っていたら売って欲しいという客が現れた。「いけるかもしれない」と甲冑製造に方向転換。時代劇などに少しずつ出していたところ黒澤明監督の目に止まり「影武者」「乱」で採用される。「乱」では1400領もの鎧兜を受注したのだ。

彼らの甲冑が受けたのには訳があった。レプリカとは思えないほど精巧で、見えないところまで当時のモノと寸分変わらない甲冑を作り上げるのだ。その高い技術が評価され鹿児島県の伝統工芸品に指定されるほど。最近、時代劇が斜陽となり、以前ほどの大量発注はなくなった。しかし、個人対象の新しいビジネスモデルを模索し成功を収めている。

丸武産業を訪れたのは「美人すぎる書道家」として話題の涼風花(りょう ふうか)さん。書道パフォーマンスでこの会社にふさわしい文字を書いてもらいました。一体どんな文字を選んだのか?

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丸武産業 (鹿児島県薩摩川内市)
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第31回 福永紙工 2015年10月31日(土)放送 (BSジャパン11月5日(木)放送)

第31回 福永紙工

2015年10月31日(土)放送

(BSジャパン11月5日(木)放送)

一見、町の印刷屋。しかし、紙の加工技術に関しては日本でも群を抜く企業が今回の主役。この会社をAR=拡張現実で一躍脚光を浴びている天才クリエーターAR三兄弟の川田十夢が取材。紙を自在に操る3次元の魔術師と携帯アプリを駆使して4次元の情報を付け加える川田十夢の世界が見事にマッチ。関係者の想像を超える作品を仕上げてしまう。

福永紙工は、名刺や賞状を刷る印刷業と厚紙を使った食品や日用品の箱作りが主な仕事だった。ところが、紙離れがどんどん進み、印刷関係の仕事が激減、もちろんパッケージもビニールやナイロンなど取って代わられジリ貧に。同業はコストをギリギリまで削って価格競争に活路を見出そうとする中、時代に逆光して効率よりもクオリティを重視したモノづくりに舵をきる。

さらに、創業者から跡を継いだ2代目社長は、自分の異色の経歴を活かして自らのオリジナルブランド開発を始める。実は2代目、若い頃はアパレル業界で働いていた。その経験を活かし、アパレルのビジネスモデルを導入したのだ。外部のデザイナーと組んで、インテリアアイテムや雑貨、アート作品など紙で創れるもの何でも取り組んだ。

ヒット商品「空気の器」、紙模型の「テラダモケイ」などオシャレなアイテムが続々登場し、ルーブル美術館、MoMAなどでも取り扱われるヒット商品となった。こうした業績が面白い社員たちを会社に引き寄せる。インテリア雑貨などのデザインを手がけていた宮田さんもそんな途中入社組のひとり。彼の得意技は思いついたものを、2次元の紙から3次元の形にできる異彩の持ち主。 まわりからその神技は「宮田マジック」と呼ばれるている。

凄いのはデザイナーたちだけではない。アート作品や複雑な形の新製品を年季の入った印刷用機械で作ってしまう技術者も特筆に値する。ほとんど設備投資なしで紙から何でも作ってしまうのだ。彼らの創造性に触発された川田氏に思わぬ化学反応が起きた!

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福永紙工 (東京都立川市)
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第30回 鬼塚硝子 2015年10月24日(土)放送 (BSジャパン10月29日(木)放送)

第30回 鬼塚硝子

2015年10月24日(土)放送

(BSジャパン10月29日(木)放送)

血糖値やコレステロール、ウィルスなどの血液検査に使う試験管の多くが四角柱というのはご存知だろうか?今回取材する鬼塚硝子は、この検査用試験管のトップシェア企業(国内70%)。検査用試験管は、従来の丸い試験管よりも光を均等に通しやすい四角形の試験管の方が優れているという。

しかし、この四角い試験管、従来の丸い形の試験管より遥かに製造が難しかったという。硝子に傷をつけず綺麗に金型を抜く作業が匠集団の技を持ってしても簡単にはいかない。まして量産するとなると機械化が欠かせないが、そうした機械も自ら開発しなければならなかった。

金もなく、職人も請負の硝子製品をつくるので精一杯。社長自らが取り組む他に道はなかったという。自分もガラス職人だった社長、ガラスを自在に操るのは得手でも機械の開発で必要な知識も独学で勉強した。構想から10年、研究を積み重ねてようやく量産できる機械を開発。この発明が、検査医療の精度を大きく変えたという。

たかが試験管、時間と手間のかかる製造に踏み切る会社は殆どなく、鬼塚硝子の独壇場となった。「1ミリ1ミリの階段をのぼるように、諦めずに研究を続けました」当時を振り返って鬼塚社長は語る。果たしてそこのにはどのような苦労があったのだろう。フォトグラファーyOUが、鬼塚硝子の知られざる秘密に迫る。

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鬼塚硝子 (東京都青梅市)
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第29回 バンショップミカミ 2015年10月17日(土)放送 (BSジャパン10月22日(木)放送)

第29回 バンショップミカミ

2015年10月17日(土)放送

(BSジャパン10月22日(木)放送)

超コンパクトな軽自動車のキャンピングカー、いわゆる軽キャンパーがシニア世代を中心に人気を集めている。このブームの火付け役が、鹿児島県曽於市のバンショップミカミ。

軽トラを改造した「テントむし」は、大人4人がゆったり寝られ、冷蔵庫も標準装備されているなど、痒いところに手が届くサービスぶりで人気沸騰、なんと注文から9カ月待ちという。東日本大震災をきっかけに給排水のタンクも常備されている。

この会社が軽キャンパーをつくり始めたのは、若者の車離れがきっかけ。それまで若者向けカスタムカーをつくっていたが、それでは商売が立ちゆかなくなり方向転換した軽自動車のカスタムキャンピングカーが、シニア層のニーズにぴったりとはまったことで方向転換したという。

しかし、まだカスタムキャンピングカーが珍しい当初は、すべて合法的な改造なのに「前例のない車」と言われ検査登録もトラブルが多かった。現在は市民権を得て、燃費、アウトドアブームも相まってさらにブームは高まっている。

この会社を訪れたのは、NEOチンドン チロル堂のメンバー4人。彼らは地元、鹿児島を拠点に企業の宣伝活動やCMソングを手掛けるなど異色のクリエーター。取材後、バンショップミカミの応援歌を披露することになっている。はたして、どんな奇想天外の発表となるのか?

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バンショップミカミ (鹿児島県曽於市)
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第28回 HITOYOSHI 2015年10月10日(土)放送 (BSジャパン10月15日(木)放送)

第28回 HITOYOSHI

2015年10月10日(土)放送

(BSジャパン10月15日(木)放送)

大阪の阪急メンズ館、海外の高級ブランドを揃えた百貨店で、イタリアや英国の人気シャツを押しのけて急激に売り場面積を増やしているメイド・イン・ジャパンのシャツがある。「価格は海外のものより安く、品質は劣らない」という客の評価でリピーターが増えているのだ。ブランド名は「HITOYOSHI」。熊本県人吉市にある工場ブランドである。

工場を海外に移転するアパレルメーカーが多いなか、地方都市に踏み止まってドレスシャツを送り出している。彼らが人件費の安い海外へ出て行かないのには訳があった。工場を訪ねると機械化できない、日本人らしい細かい心配りの職人技が溢れていたのだ。可動域の広い袖、型崩れしない襟、体にぴったりとフィットする立体縫製などその技術は数知れず。実は、この技術、どんなに難しい注文でも決して断らないチャレンジ精神で培われたものだった。

他所が引き受けないことになぜ挑戦したのか。そこには工場を守りたい、という強い気持ちがあった。実はこの会社、親会社の倒産で一度廃業の危機に晒されていた。なんとか工場を残したい。必死の思いで金をかき集め再生した工場には、厳しいアパレルの競争に勝ち抜く独自性が必要だった。そのため、元々、国内外有数の高級ブランドラインを作っていた技術に磨きをかけ、自社のファクトリーブランドを立ち上げたのだ。

そして、HITOYOSHIは、ドレスシャツ販売で阪急メンズ館東京の6割、大阪の3割の売り場面積を占めるようになり、海外展開も視野に入れて動き出している。片田舎から世界へ、彼らの最高品質への挑戦を追う。取材するのは地元熊本を拠点にして活躍するミュージシャン。地元の誇り、シャツに込められた思いを歌にして披露する。

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HITOYOSHI (熊本県人吉市)
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第27回 東光舎 2015年10月3日(土)放送 (BSジャパン10月8日(木)放送)

第27回 東光舎

2015年10月3日(土)放送

(BSジャパン10月8日(木)放送)

世界的に有名なヘアサロン「ヴィダル・サスーン」の美容師達が絶賛し、その名を轟かせたメイド・イン・ジャパンのハサミ。ジョーウェル・シザーズのブランドで知られる東光舎の理美容ハサミは、今では世界50カ国で使われ、海外販売総数100万丁を誇っている。特徴は切れ味の持続、開閉感の軽さ、使いやすさで世界トップレベルだという。

取材した写真家・浅田政志さんが「神業」と目を丸くした職人の技は、ミクロン単位の誤差を出さないレベル。しかも1丁つくるのに170もの作業が必要なのだ。とくに黄綬褒章を受章した名工の職人技を活かした修理は、決して他社では真似できないレベル。実は修理の方が、新品を作るより難しいのだという。一丁一丁使い手の癖や傷み具合が違うからだ。

しかし、国内でトップメーカーの東光舎でも世界的に見ればまだまだ5本の指に入る程度。「世界一のハサミを作る」。リーマンショックでもっとも経営の厳しいときに社長を任され他界した、先代社長の遺志を継ぐ挑戦が、工場では始まっていた。それは、まもなく100周年を迎える東光舎が今後100年世界のトップランナーとして走り続けるための戦いだった。新素材で、切れ味が限りなく継続するハサミの開発は今、始まったばかりだ。

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東光舎 (岩手県岩手郡/本社・東京都)
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第26回 コーマ 2015年9月26日(土)放送 (BSジャパン10月1日(木)放送)

第26回 コーマ

2015年9月26日(土)放送

(BSジャパン10月1日(木)放送)

たかが靴下、されど靴下。靴下は3足1,000円、3足500円、果ては百均ショップで1足100円で売られる時代。そんな時代に、靴下一筋で90年操業を続けてきた企業があった。大阪府松原市の街中に工場を構えるコーマである。

安い輸入品とはもはや価格では勝負できない。コーマは高機能、高付加価値で勝負する戦略に舵を切る。格安商品の10倍もする靴下を買ってもらうには何が必要か?たどり着いたのは、足の形状を徹底して研究し「履きやすさ」を追求したことと、目的別に設計、材料を変えるニッチ戦略。

誕生したのが、足にぴったりとフィットし、疲れにくい3Dソックス。自転車ロードレース、マラソン、ロッククライミング、登山等々、目的に応じたアスリート御用達のオリジナルブランド「FOOT MAX」を開発した。それは、これまで安くて画一的なモノしかなかった世界の靴下市場にとってそれは革命的な事件だった。

コーマの強みは、スケッチ1枚から複雑な編みを再現できる開発力。実は、既成の編機では、プログラムできず、彼らは気の遠くなるような試行錯誤を重ねながら、手作業でオリジナルプログラムの作成、機械の改良を行ってきたのだ。「一業深耕」、靴下に特化して90年踏ん張り続けた歴史から得た経験値と技があるからこそ、簡単に真似されない強みが築けた。

さらに驚くべきは、1足の靴下にコーマの特許が実に3~4件は入っているということ。取材した絵本作家の谷口智則さんは、実際にコーマの靴下を履いてその感触に興奮を隠せない様子。用途ごとに細かくわかれた個性的なブランドの特徴を活かし、今回は新しい靴下キャラクターをつくるという。

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コーマ (大阪府松原市)
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第25回 シャボン玉石けん 2015年9月19日(土)放送 (BSジャパン9月24日(木)放送)

第25回 シャボン玉石けん

2015年9月19日(土)放送

(BSジャパン9月24日(木)放送)

体や健康に悪い添加物は一切使わない。そう言って、無添加石けんにこだわる中小企業が福岡県北九州市にある。創業から105年の歴史を誇るシャボン玉石けんだ。

健康や環境に気をつかう今でこそ、注目を浴びる企業となったが、1974年、合成洗剤を止める決心をしたものの、業績は急降下。手間がかかって売れない無添加石けん製造に業を煮やした約100人いた従業員が、5人に激減する結果を招いてしまう。しかし、「自分が悪いと思った商品は絶対に売れない」と社長は信念を貫き通した。

転機は1991年、社長自らが書いた無添加石けんをアピールする本を出版し、これが健康ブームに乗って反響を起こしたのだ。無添加石けん専業に切り替えて18年目、ようやく会社は黒字になった。現在は、石けんのノウハウを活かして消防局と消火剤を共同開発するなど、無添加石けんの長所を活かした環境に優しい製品が開発されている。

今回、シャボン玉石けんを訪れたのは、日常の風景を独特の視点で作品にする現代美術家の鈴木康広さん。無添加石けんのメーカーを取材してあっと驚く作品を仕上げた!

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シャボン玉石けん (福岡県北九州市)
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第24回 岩田鉄工所 2015年9月12日(土)放送 (BSジャパン9月17日(木)放送)

第24回 岩田鉄工所

2015年9月12日(土)放送

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岐阜県羽島市に、あったらいいなぁと思えるアイデア商品を次々と生み出す会社がある。芸妓御用達の楽に正座できる座椅子、電動で伸び縮みする杖等々。使い道は決まっていないが遠隔操作できるロボットハンドなども開発している。

メーカーの岩田鉄工所は電子回路を作る機械の極小部品などをつくる精密金属加工が本業。他社で真似るのが難しい精密加工を得意とし、飛行機からIC回路まで機械の部品作りを行っていた。しかし、リーマンショックで売り上げが4分の1に激減。工場が稼動できない状態に陥る。一刻も早く工場を動かしたい。社長は自らのアイデアを自社で商品化するために動き出す。

「人の役にたつ世の中にまだ無いもの」が商品作りのコンセプト。技術力に定評がある会社だけに、一度動き出すと次々と新商品が誕生していく。「危機が来なければアイデア商品を作ろうなんて考えなかった。リーマンショックが下請けからの脱却へチャレンジする良いきっかけになった」(社長)

ゴミや廃材に新しい生命を与えるアーティスト、淀川テクニックの2人は、金属の削り屑を前に「宝の山」と目を輝かせる。果たして岩田鉄工所のチャレンジ精神をどんな作品で表現してくれるのだろうか?

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岩田鉄工所 (岐阜県羽島市)
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第23回 丸和信和建設 2015年9月5日(土)放送 (BSジャパン9月10日(木)放送)

第23回 丸和信和建設

2015年9月5日(土)放送

(BSジャパン9月10日(木)放送)

舞台は北海道標津町。北方領土の国後島を沖に見る道東のこの地は秋サケの水揚高で日本有数の地。ここで「かつお節」ならぬ「さけ節」を製造している会社を取材する。この会社がつくる「華ふぶき」というさけ節は、食材コンテストで次々と賞をさらっているという。

製造元は、丸和信和建設。食品製造会社ではなく建設会社である。なぜ、建設会社で「さけ節」を?この謎に挑戦するのが、漫画家の田中光。お笑い芸人ながら5冊の漫画単行本を執筆、中でも1コマ漫画「サラリーマン山崎シゲル」は10万部を突破したヒット作品だ。

建設会社とさけ節という意外な組み合わせには、地元を愛する社長の願いが込められていた。さけ節の材料のサケは商品価値が低い産卵前後の身の白いブナサケ。燻すための薪はこれまた商品価値のない間伐材を使用。そして意図して機械を導入せず、昔からのやり方の手作業を残している。地元の廃材を使い、手作業を残すことで雇用を生み、地域を活性化させたいという社長の思いがあったのだ。

社長は「さけ節」製造のため、本場の静岡県焼津市のかつお節工場で自ら修行。そして、北海道の工場で焼津の気候を再現するのに、建設会社のノウハウが活きたという。果たして、その意外な真相にたどり着いた田中光さんはどんな漫画で会社を面白く表現してくれるのだろうか。

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丸和信和建設 (北海道標津郡)
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第22回 瑞穂 2015年8月29日(土)放送 (BSジャパン9月3日(木)放送)

第22回 瑞穂

2015年8月29日(土)放送

(BSジャパン9月3日(木)放送)

有名な筆の産地、広島県安芸郡熊野町。180年前から始まったこの伝統産業に新しい動きがある。そのひとつが「瑞穂」。国内で生活習慣の変化から筆の需要が落ち込み、追い打ちをかけるように安い中国製品が市場に参入。「行くも地獄、退くも地獄」(瑞穂社長)という危機的な状況だった。

そこで、町全体で高い職人技を活かし、高級品化に取り組み、伝統産業の灯火は守られてきた。「前へ向いて進むしかない。」と瑞穂が取り組んだのが自社ブランドの強化だった。大手メーカーからのOEMだけだと景気に左右されてしまう。自分たちで値段を決めて販売できるファクトリーブランドの構築だ。

中心に取り組んだのは、社長の2人の娘と娘婿。それぞれが、商品企画、製造管理、販路拡大の担当として3本の矢となって機能する。リーマンショックも3人の堅い結束で切り抜けてきた。筆の毛先を切らず、素材の毛先を活かして綺麗に山型に揃える熊野筆伝統の筆作りを活かし、そこに使いやすさとお洒落なデザイン性を加えたメイクブラシ(化粧筆)の誕生である。

元ゼネコンの海外駐在員だった娘婿の丸山専務は、人脈を活かして海外へ単身飛んだ。これまでにない柔らかな肌触り、粉含みと粉離れを両立する絶妙なブラシ、握りやすく使い易いデザイン。たちまち香港、タイ、上海、ロシアなどのメイク業界、映画業界などで話題となり注文が殺到した。商社や問屋を通さず直接足で切り開いた世界マーケットだった。

一方、工場では近所の主婦たちが、自分たちの生活のスケジュールに合わせた無理のない勤務体系で働いていて、まるで家族のように見えた。そして、彼らが作るブランド筆は確実に世界に広がりを見せはじめている。果たして、フォトグラファー中野章子氏は、この会社をどう表現するのか?

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瑞穂 (広島県安芸郡)
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第21回 諏訪田製作所 2015年8月22日(土)放送 (BSジャパン8月27日(木)放送)

第21回 諏訪田製作所

2015年8月22日(土)放送

(BSジャパン8月27日(木)放送)

金物で有名な新潟県三条市。ここに世界に誇る爪切り製造メーカー、諏訪田製作所がある。ひとつ7000円からという超高級ニッパー型爪切りは、ネイルサロンをはじめプロも認める切れ味だ。この会社の凄いところは、他社が真似できない職人の手技と徹底したクオリティ重視の姿勢。工場は毎日オープンしていて、年間2万人の見学者を受け入れているのが自信の証だ。

しかし、これまで会社は決して順風満帆ではなかった。90年代、安い外国産やコピー商品に悩まされ、三条市の金物工場は次々と閉鎖に追い込まれる。諏訪田製作所も年間売上高の倍の6億円もの借金を抱えるなど青息吐息だった。97年、就任した3代目社長はこのとき他社が真似できないモノづくりで生き残る決心を固めた。人材こそ財とばかり、リストラは一切せず、技術を持った職人を守った。

そして、キャリアに関係なく頑張った分だけ給料が上がる評価システムを導入。海外製品との価格競争に勝つべく、機械を導入して大量生産を始めていた同業他社と全く違ったアプローチが、現在のSUWADAブランドを築くことになる。7000円以上出しても買いたい爪切りの誕生である。

取材するのは、クリエイティブディレクターのAZZAMI氏。海外からも注目される幅広いジャンルをカバーするクリエーターだ。彼がどんなメッセージ映像をつくってくれるのかは見ものだ。

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諏訪田製作所 (新潟県三条市)
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第20回 Ante 2015年8月15日(土)放送 (BSジャパン8月20日(木)放送)

第20回 Ante

2015年8月15日(土)放送

(BSジャパン8月20日(木)放送)

能登半島の北端、珠洲市にある住民8人という限界集落に突然オープンしたカフェ。これまで閑散としたこの地に週末は他県から客が押し寄せている。仕掛けたのは加賀市の商品開発会社Ante。

この会社はこれまで、揚げ浜式製塩法でとれた塩を使った「しおサイダー」、金沢の伝統工芸品、金箔を用いた「金箔しおシャンメリー」、幻の唐辛子と呼ばれる剣崎なんばで作ったピリ辛チョコレート「ちょこっとなんば」など、地域の特産品、伝統技術を活かした新しい商品開発で地域活性化につながるビジネスを次々と打ち出してきた。

その原動力になったのが中已出理(なかみでり)社長。20代に華道の先生、30代には現代芸術家、40代にエステ店経営という異色の経歴を持った女性。2008年金沢で起きた大水害で被災した湯涌温泉の変わり果てた姿を見て、なんとかしたいとAnteを立ち上げたという。

地元復興への思いでつくったのが「金沢湯涌サイダー 柚子乙女」。ラベルにも金沢ゆかりの竹久夢二のイラストを使った。これまで14品目の特産物、伝統技術にちなんだ商品を開発。「しおサイダー」は販売120万本を越すヒット商品となった。「地元の人も気がつかない宝を掘り起こして、磨きをかける。そして町おこしに結びつけたい」と中已出社長は語る。果たして彼女の次なる策は?

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Ante (石川県加賀市)
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第19回 ニッカー絵具 2015年8月8日(土)放送 (BSジャパン8月13日(木)放送)

第19回 ニッカー絵具

2015年8月8日(土)放送

(BSジャパン8月13日(木)放送)

アニメ関連の会社が90社以上集まる東京都練馬区。ここに「ハウルの動く城」「風立ちぬ」といったアニメの背景を描いてきた絵師も信頼を寄せる会社がある。ニッカー絵具、1950年創業の町工場だ。空の色としてお馴染みのセルリアンブルーも手塚アニメ「ジャングル大帝」でアフリカの空を表現するのにこの会社の赤尾会長が開発した色のひとつ。開発を担当する会長はこれまで約600色のレシピを創ったというから驚きだ。

ニッカー絵具の色へのこだわりは、材料に割高な顔料を惜しみなく使っていることから測り知れる。微妙な色の違いを出すには顔料をけちっていられないのだという。また、一度作った色を確実に再現し続けるには、材料の質と量の管理が重要。それ故、レシピには顔料の産地なども細かく記載されているのだ。年が経つと同じ産地の材料が手に入らないこともあるそうだが、それでも色見本と一色ごとに見比べ、まったく同じ色をつくってしまう。プロが信頼するのも頷ける。

だが、ニッカー絵具の売り上げの主力は学校で使われている水彩絵具。これが少子化の影響で出荷がかなり減ってきていて、最盛期の3分の1ほどに。そこで需要の多いアクリル系絵具を開発し補おうとするが、アクリル絵具では後発のニッカー絵具が入り込む余地は少なく苦戦している。

勝負できるとしたら、これまで開発してきた色の種類と表現力。ビジネスのスタイルや扱う商品が違ってきても、オリジナルの色の表現は絶対に再現してみせる。会長の心意気は13人の社員ひとりひとりに浸透していた。そんな、現場を丹念に取材した立川吉笑さん、従業員を前にどんな落語を披露してくれるのだろうか?

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ニッカー絵具 (東京都練馬区)
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第18回 光洋製瓦 2015年8月1日(土)放送 (BSジャパン8月6日(木)放送)

第18回 光洋製瓦

2015年8月1日(土)放送

(BSジャパン8月6日(木)放送)

2015年3月、国宝・姫路城の平成の大修理が終わり美しく蘇った姿が公開された。その瓦約7万5000枚の葺き替えに指名されたのが、従業員わずか10人の姫路の会社「光洋製瓦」だった。光洋製瓦がつくるのは伝統的ないぶし瓦。瓦離れが続く中、普通の瓦屋が1日で焼きあがる1日釜で仕上げるのに対し、光洋製瓦は4日釜。手間がかかり普通の瓦の3倍ほどの値段だが、1日釜のいぶし瓦が20年ほどで色褪せてしまうのに対し、光洋の瓦は約50年はもつという。そして、最も違うのがいぶし銀に光る光沢。

子供の頃にその光沢に魅せられた笹田奈都子社長。洋風の住宅やマンションの増加など瓦離れが進み、次々と同業が廃業するなか光洋製瓦も経営が苦しくなっていった。奈都子社長の父も自分の代で暖簾を畳む決意をしていたという。当時、専業主婦をしていた奈都子社長は、いぶし瓦の灯を消したくないと、夫婦で再建に乗り出す。しかし、その道は険しく、夫とは離婚、一人で会社を背負って立つことになった。

彼女の心の支えが、父や先代鬼師の夢だった国宝・姫路城天守閣を光洋の瓦で葺くこと。実は、昭和の大修理の際に指名を逃したのだった。平成の大修理にはなんとか指名を勝ち取りたい。施主の姫路市にアピールするが役所から帰ってきたのは意外な言葉だった。「瓦屋なんか播州にあったのか?」。もっといぶし瓦の良さを知ってもらわなければ。社長は工場を小学生や一般観光客に公開する産業観光を立ち上げ、さらに、いぶし瓦を使ったインテリア材「ARARE」を発表。日本一の高層ビル「あべのハルカス」へ飛び込み営業で採用を勝ち取る。

その成果もあって、知名度は徐々にアップ。姫路市も地元に国宝を治せる技術を残したいと、大修理の業者のひとつに光洋製瓦を推してくれたのだ。そして、光洋の鬼師のデザインが、天守閣のシャチ瓦に決定する。鬼師もまた先代の父親から夢を継いだ息子だったのだ。親子2代で夢を叶えた姫路の瓦屋の物語に取材した絵本作家谷口氏はいたく感銘。いぶし銀の瓦の形を絵本に見立てて、その上にストーリーを展開していった。

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光洋製瓦 (兵庫県姫路市)
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第17回 うまし宿 とト屋 2015年7月25日(土)放送 (BSジャパン7月30日(木)放送)

第17回 うまし宿 とト屋

2015年7月25日(土)放送

(BSジャパン7月30日(木)放送)

丹後半島の西に位置する小さな観光地「間人」(たいざ)。冬のズワイガニは間人蟹と呼ばれ、越前蟹、松葉蟹と並ぶ高級ブランドの代名詞。冬にはこの高級ブランド蟹を目当てに国内外のセレブが訪れ、活況を呈していたが、ここ10年ほどは不振にあえいでいるという。リーマンショック以降、客足が半分以下の落ち込み10年以上経った今でも客は戻ってきていないのだ。

しかも、不便な立地が災いし、近郊の天橋立、城崎、伊根といった観光名所にほとんど客を奪われ、厳しい状況が続いている。観光協会や、役場が産業振興策や観光客誘致に乗り出すが、パッとする提案は何一つ出てこない。「人に頼っている場合ではない」と立ち上がったのが小さな旅館、うまし宿とト屋の女将・池田香代子さんだった。カニ以外の売りは何か。。。行き着いた先は「人」だった。

漁師や職人、郷土史家のみならず地元の主婦や農家まで巻き込んだ他にないオプショナルツアーの充実。地元の人でおもてなしマイスターを組織。田舎の本物の良さを知る地元の人々を訪ねてもらう町ぐるみの観光を提案したのだ。この突拍子もないアイデアに、地元の人々は中々ついて来なかった。「お上が何かをしてくれる。なんで自分が・・・」元より他力本願だった客の誘致、町のアピールを自分たちでやれといわれた主客逆転について行けず、女将は孤軍奮闘するしかなかったという。それでも、一人一人、熱心に口説いて周り協力者もチラホラ現れるようになった。

そんなおり、思わぬ大発見がこの町の運命を変えた。半信半疑で、女将に協力を申し出ていた漁師が、偶然、イタリアの「青の洞窟」に匹敵する日本版「青の洞窟」を発見したのだ。青の洞窟目当てに訪れた国内外の客は、その美しさに心を奪われ、さらに漁師の人生談や彼らが見慣れた磯場や朝日、夕日などの景観に感動して涙を流してくれたという。

「これまで漁でとれた魚を殺して売る毎日。食べる客や観光客のことなど考えたこともなかった。自分の話に熱心に耳を傾けてくれ、案内するだけで感謝してくれる。笑顔と接するのがこんなに素晴らしいことだと初めて気づいた」と女将の提唱する人が観光資源というツアーの提唱の理解者第一号となった。気難しい漁師が味方についた。それからは農家、漁協、教師、銀行員から主婦までいろんな人たちが女将の元に集まるようになった。

女将と間人の人たちがつくったオプショナルツアーの数は45、現在も増え続けている。その全てが町で仕事をしている人たちを訪ねる旅。今までの仕事と兼業で仕事をするようになった。女将の挑戦は勢いを増し、経産省からの補助金を獲り間人が提唱する新しい旅「龍宮プロジェクト」がパンフレットになった。そのパンフレットと企画書を引っさげ、本業そっちのけで大手旅行会社や企業へ飛び込み営業が始まる。

そして、6月末。独自の目的のある旅を提唱するクラブツーリズムの観光バスの誘致に成功したのだ。これまで、素通りされていた町に初めて観光バスがやってくる。今回の旅はカニや温泉、グルメではなく野趣溢れる丹後の寒村に眠る古代遺跡をウォーキングで巡るというもの。実は丹後は古墳時代は大陸からの文化の影響をいち早く受け、古墳や古代遺跡が人知れず残っていたのだ。

地元の郷土史家、教師、歴史研究者、登山家などそれぞれの専門家が町の人々を集めてツアーのシミュレーションを始めた。「今まで何の価値もないと思っていたものが実は宝の山だった。なんとしても地元の良さを知って欲しい」町の人たちの顔が変わった。漁師が農家が、そして旅館の仲居がこの日ばかりはおもてなしマイスターとして本領を発揮しなければならない。そして、運命の日。天候は梅雨時の暴風雨と最悪の状態。果たして客は?

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うまし宿 とト屋 (京都府京丹後市)
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第16回 オリエンタルカーペット 2015年7月18日(土)放送 (BSジャパン7月23日(木)放送)

第16回 オリエンタルカーペット

2015年7月18日(土)放送

(BSジャパン7月23日(木)放送)

山形県東村山郡山辺町という片田舎に驚きの技術を誇る主婦集団を率いる会社がある。東京・銀座の歌舞伎座のロビー、祇園祭南観音山前掛けなどを彩る絨毯メーカー「オリエンタルカーペット」だ。従業員44人、そのうち女性は28人。織職人はすべて女性、その殆どが主婦と兼業である。

「事業の成功は物にあらず人に在り」と説く創業者の理念を継いで主婦はパートタイマーではなく社員。彼女たちの織りなすカーペットがまた凄い。高い物は1枚500万円以上、写真や絵画と見間違えるほど精巧で緻密なのだ。とくに他所では見られないグラデーションの技術は同社の武器である。

武器を支えるのは染めから織まで一貫してできるということ。両方できるのは日本で唯一だ。色のレシピは2万色以上、微妙な加減も全て表現できるという。他社が真似できない表現と、精巧な高級品を製造する技術を誇る同社だが、深刻な悩みも抱えていた。バブル崩壊以後、高級絨毯の需要が盛期の5分の1までお落ち込んで売れなくなったのだ。

バブル末期に就任した5代目渡辺博明社長は事業縮小とリストラを迫られた。「このままでは代々引き継いできたこだわりのモノづくりが成り立たなくなる」。社長は新しい自社ブランドを立ち上げ、危機を乗り越えようと考えた。それが、新ブランド「山形絨通」(やまがただんつう)。 フェラーリのデザインなどを担当した工業デザイナーの奥山清行氏らとコラボ、今までにないデザイン性を用いて絨毯の常識をくつがえしたのだ。彼がデザインした作品「UMI」の各界らの反響は大きかった。

取材したフォトグラファーのミヤジシンゴ氏も「絨毯から風と波の音が今にも聞こえてきそうだ」とため息を漏らす。一方でこれまでの特注、高級路線から一般家庭でも買いやすい値段設定にした。この戦略は功を奏し、注文に生産が追いつかないほど。「物を通して人を感動させるモノづくりは尊い。これからも足元から感じる幸せを演出する会社でありたい」と語る5代目社長の顔は自身に満ちていた。

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オリエンタルカーペット (山形県東村山郡)
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第15回 東成エレクトロビーム 2015年7月11日(土)放送 (BSジャパン7月16日(木)放送)

第15回 東成エレクトロビーム

2015年7月11日(土)放送

(BSジャパン7月16日(木)放送)

小惑星探査機「はやぶさ2」、F1レーシングカー、航空機などの製造で不可欠な技術を提供する会社が東京都西多摩郡にある。東成エレクトロビームは社員61人の小さな会社。しかし、取引先3500社から頼りにされている世界有数の企業なのだ。

得意なのは電子ビームやレーザーを使う特殊な溶接。異なる金属の溶接は、それぞれ融点が違うため0.01mmの機械の調整が必要。ひとつ数千万円以上の材料を扱うことが多い先端技術の世界で、この溶接ができる会社は世界でも殆どないという。

なぜ、東成エレクトロビームはここまで高い技術水準を維持できたのか。そこには、創業者の上野会長の強い思いがあった。大口の取引先が、東成エレクトロビームの溶接装置と同じ機械を入れたという理由でいきなり発注が止まった。会社は売り上げが半減し存亡の危機に瀕したという。

「機械に頼ってはいけない。技を磨き、絶対に真似できない技術力を身につけなければ」“機械ではなく人”そのとき会社の方針は決まったのだ。それから30年あまり、今では他社では引き受けていない難しい仕事を喜んで引き受ける、世界でも稀有の会社となった。

さらに、自社ブランドでサビついた金属の汚れを一瞬で綺麗にするレーザー装置も開発。食品メーカーなどに売り込もうとしている。不可能といわれる難問に果敢に挑む会社を、神谷幸之助さんは「格好いい!」という。この驚きの溶接集団を神谷さんはどんなコピーで表現してくれるのか?

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東成エレクトロビーム (東京都西多摩郡)
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第14回 日都産業 2015年7月4日(土)放送 (BSジャパン7月9日(木)放送)

第14回 日都産業

2015年7月4日(土)放送

(BSジャパン7月9日(木)放送)

最近、公園で遊ぶこどもの姿がめっきり減った。家でテレビゲームなどで遊ぶ子供が増えるのに反比例して外で遊ぶ子どもが少なくなったのだ。文部科学省の調べでは、それと同時に子どもの体力低下が著しくなってきている。今回、公園遊具の草分け、日都産業(東京都)羽村工場を写真家の浅田政志氏が取材。遊具製造の最前線に迫る。

日都産業の前身、日土製作所は戦時中、爆弾などの軍需品をつくっていた。戦後、先代社長が「時代を担う子供達にのびのびと幸せに育って欲しい」という願いから日本で最初の遊具専門メーカーへと生まれ変わった。公園遊具でおなじみのブランコやジャングルジム、滑り台などを作っていた。また、良く見かける回転式ジャングルジムは、銀座の球体広告塔にヒントを得てつくったという。最近、公園を散歩する老人が増えたことなどから大人も楽しめる公園用健康遊具も作り始めているという。

しかし、2000年頃から、公園遊具での事故が頻発。バブル期につくられた他社の遊具の劣化が主な原因だった。安全が強く求められる中、子どもの好奇心を満たす楽しい遊具を開発しないといけない。「公園に子どもたちを呼び戻したい!」社員たちが開発に乗り出していた。工場の敷地内には、すでにその試作品ができあがっていた。その遊具で開発者とともに遊んでみる浅田さん。縦、横、斜めに動く新しい遊具に浅田さんも目を丸くする。

動く遊具が危険だとしてどんどん少なくなっている中で、敢えて激しい動きを伴う遊具を提案したいという社員たち。そこには、遊ぶ子どもの視線に立った面白さを極めたいという思いと、遊びの中で体の使い方を覚えて欲しいという願いが込められていた。もちろん安全対策は何度も、これでもかというほどやった。その上で、本来遊具の持つべき、体を動かして運動能力を高めるという役割を重視した、冒険心溢れる遊具を提案しようとしている。

取材を終えて浅田さんが館内放送を始めた。「みなさん、工場に集合してください!」。はてさて、どんな写真が出来上がるのか。

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日都産業 (東京都杉並区)
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第13回 三ッ葉楽器 2015年6月27日(土)放送 (BSジャパン7月2日(木)放送)

第13回 三ッ葉楽器

2015年6月27日(土)放送

(BSジャパン7月2日(木)放送)

ミュージシャンシリーズ第2弾。大阪府豊中市出身の歌姫・矢井田瞳さんが日本一のウクレレメーカーを取材。その場でつくった曲をウクレレ片手に工場でお披露目した。ミュージシャンがクリエーターとして出演するのは、前週のドラマーJimanicaさんに次いで番組では2度目。彼女自身もウクレレを演奏するので前々からメーカーには興味を持っていたということで、今回の取材が実現した。

創業67年の三ッ葉楽器は国産ウクレレの7割を製造するトップ企業。しかし、生き残るのは大変だったという。高度成長期のGSやフォークソングのブームでウクレレはギターに取って代わられた。当時全国に5、6社あった大手ウクレレメーカーも殆ど淘汰され、量産メーカーはハワイの会社と三ッ葉楽器だけになってしまった。「メイドインジャパンを残したい」という社長の思いは、思い切った決断にたどり着く。ウクレレを作り続けるため、三ッ葉楽器は楽器ではない「あるモノ」を作ってウクレレが売れない時代を乗り越えてきました。その「あるモノ」とは!?

90年代に入り、高木ブーさんらが再びウクレレブームに火をつけた。今では三ッ葉楽器の売り上げの6割がウクレレ、4割が家具という構成。さらに、今年、ハワイにも工場を新設。本場でウクレレの供給に取り組む予定だ。低価格、高品質を売りにウクレレを本場で再び広めたいという。

取材した矢井田瞳さんは、肉球の形をしたウクレレや三角形のウクレレなど遊び心満載の製品に興奮気味。そして最も関心をひいたのは社員のウクレレに対する熱い思いと温かさだった。この会社の多くの社員はウクレレを弾きこなす。しかも楽しそう。また、夫婦で働いていたり、好きが高じて看護師をやめてウクレレ工場に飛び込んできたりと、同じウクレレ好きの彼女の感性と響き合うものがあったようだ。

ロケの合間の短い時間、一人で考え込む彼女。三ッ葉楽器を応援する歌をつくる決意を固めた。終業後、工場の片隅で彼女の即興ライブが始まった。「これからも一本、一本愛を込めて素敵なウクレレを作って欲しい」という願いがこもった一曲だった----。

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三ッ葉楽器 (群馬県前橋市)
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第12回 北三 2015年6月20日(土)放送 (BSジャパン6月25日(木)放送)

第12回 北三

2015年6月20日(土)放送

(BSジャパン6月25日(木)放送)

ドラマーが中小企業をどう表現するのか?今回、番組初の試みとしてクリエーターにニューヨーク等で活躍するアーティスト・Jimanicaさんを起用。木材加工のスペシャリスト北三を取材し、工場で従業員を前に即興ライブを披露した。

東京都江東区新木場に本社を構える木材加工会社の北三。この会社が得意としているのが、木を薄く切るツキ板と呼ばれる加工材の製造。豪華クルーズトレインななつ星のコンパートメントやクラシックのコンサートホール、レクサスなどの高級車、ギターやドラムなどの楽器にも使われている。薄さ0.2mmの紙のような板を世界各地で集めた銘木から切り出して作っているのだ。世界でもこの薄さを実現できるのは北三だけだという。

南米、アフリカ等世界中から集めた丸太は高いもので1億円以上する。それを長いカッターで削っていくのだが、いわば巨大なカンナで木を削っているようなもの。刃こぼれは従業員が自らの爪でチェックしていく。美しい木目を保つのは大変なのだ。Jimanicaさんは従業員の神業のようなカッティングを見て感銘を受ける。

「大きな木を気の遠くなるような手間暇をかけて削り、木の温もりを伝えている職人たちの鼓動が木目から伝わってきそうだ」という。彼は、材木をスティックで叩きながら何かを確認する。「木の育った環境、密度によって音程が変わる。それぞれ個性がある。」木目同様、音も木によって異なるのだ。

彼は工場の廃材を集めてドラムセットに取り付け始めた。工場の終業後、北三の木を使った即席ドラムで職人たちの前でコンサートが始まった。木の温もりを伝える中小企業に自らの表現を重ねた演奏は、満場の拍手で迎えられた。

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北三 (東京都江東区)
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第11回 マツバラ金網 2015年6月13日(土)放送 (BSジャパン6月18日(木)放送)

第11回 マツバラ金網

2015年6月13日(土)放送

(BSジャパン6月18日(木)放送)

松原市役所の玄関ホールに飾っているドラクロワのフランス革命を題材に描かれた名画。じつはコレ、地元企業が寄贈したもので、極細のステンレスと銅の糸で織られたもの。いわゆるデザインメッシュと呼ばれる新しい金網の使われ方だ。作ったのはマツバラ金網という社員30人の中小企業。細い金属糸で金網を織る織金網のメーカーだ。主力は工業用フィルターで国内の50%のシェアを誇っている。工業用フィルターとは、自動車の変速機オイルやプールのゴミ除去のフィルターのこと。用途に応じて素材、サイズ、形状など様々な要望に個別に答えなければならない。いわゆるオーダーメードに近い仕上げを求められるので、職人技が必要なわけだ。

取材するのはフォトグラファー東真子。ファッション系の写真を撮ることが多く、そのアパレルの知識を活かしてマツバラ金網の魅力を切り撮ってもらおうというもの。松原市は河内木綿の産地。かつては木綿産業が隆盛を誇ったが、海外の安い製品に押されて次第に勢いを失う。その織の技術を金網に転化させ、今度は金網の町として栄えるが、1979年頃から安い海外製品に市場を奪われ、半数以上の工場が閉鎖に追い込まれる。そんななか、マツバラ金網は問屋を介せず直接メーカーとやりとりし、少量多品種に対応できる技術革新に取り組んできたことが幸いして生き残る。とくに工業用金網ではシェアを伸ばすことになった。

同時に社員のモチベーションアップを考え、デザインメッシュにも取り組んだ。「社員の家族に自分たちが作っているものの素晴らしさを伝えられれば」と東田龍一郎社長はいう。まだ売上高の10%程度しかないが、この新規事業が新たな客との出会いを生み、事業の幅が広がった。「今がいいからといって安穏とはしていられない。金属より強い新素材が出てきたら金網はなくなる。また金網は2次元の世界、3Dプリンター中心の時代になると我々も3次元のCADを駆使するなど、全く新しいことをしないと生きていけない」(東田社長)

綿織り物から織金網、工業用からデザインメッシュなどつねに時代を先取りしてきた東田社長が動く。危機感を共有し、一丸となって新しい時代に挑戦するために全社員に21箇条の約束が盛り込まれた誓約書の提出を求めたのだ。社員やその家族のために会社を潰すわけにはいかない、しかしそのためには新しい時代に一緒に立ち向かう覚悟が必要、そういうメッセージでした。これに社員も奮起します。第一弾は、金属と新素材をミックスした糸で、丹後縮緬を織ること。プロジェクトを任されたのは21歳の女子工員だった。

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マツバラ金網 (大阪府松原市)
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第10回 山﨑製作所 2015年6月6日(土)放送 (BSジャパン6月11日(木)放送)

第10回 山﨑製作所

2015年6月6日(土)放送

(BSジャパン6月11日(木)放送)

精密板金加工の会社・山﨑製作所を「職人写真」で有名な松田忠雄が切り撮る。精密板金加工とは薄い金属板を「切断」「曲げ」「溶接」する加工のこと。すなわち、切って、曲げて、溶接するものなら何でも作ってしまう器用さが受けて大小様々な特注品が1個から来るという。有名にしたのは、金属で作ったアート作品。群馬の名湯・伊香保温泉にはその作品が誇らしげに展示されている。

実はアート作品への取り組みは創業家3代目の山﨑将臣常務が始めた事業。創業者の祖父は自動車用品、2代目の父はテレビモニターと、それぞれ時代に応じた製品づくりに取り組んできた。将臣常務は東京の上場企業で働いていたが、実家を継ぐ決心をする。しかし、実家は、下請け専門のいわゆる町工場。景気の波に大きく左右される経営をなんとか変えたいと思っていたのだ。

精密板金加工の技術を活かした自社ブランド製品の開発。彼は積極的に動き造形作家の高橋綾氏との出会いで、クリエーターと組んだアート作品製造という新しいジャンルの仕事を見出す。創造性が必要なアート作品製造が工場の職人魂に火をつけた。会社は有名になり、社員のモチベーション、技術力も格段に上がった。そして、新しい顧客との出会いが増え、現在の少量多品種生産のきっかけとなる。同時に大きなプロジェクトの話も舞い込んでくるようになった。

自信をつけた3代目は次の挑戦を始めた。地域の中小企業に自ら声をかけて連携、これまで大手しか受けられなかった仕事の受注獲得を実現したのだ。地域のモノづくり町工場13社による共同体「カロエ」の誕生である。カロエとは、加工という漢字を崩したもの。設計、加工、メッキ、塗装、組み立てなどそれぞれの得意分野を結びつけることで、大手にも負けない共同企業体が生まれ、それぞれだと弱かった中小町工場が力を持つようになったのだ。

「高崎市でひとつの会社という考え方。うちは板金係、他所はメッキ係…さしずめ私は係長ですかね。」と将臣常務はいう。自らが仕掛けたアート作品の制作やカロエが思わぬ効果も生んだ。若い人たちが職人の仕事に惹かれ、入社を希望する人たちが増えたのだ。共存共栄、小さい者同士が力を合わせ大手の下請けから脱出、自らのブランドを持つことで地域活性化と地方の中小企業生き残りの形が見えてきた。

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山﨑製作所 (群馬県高崎市)
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第9回 江戸切子の店 華硝 2015年5月30日(土)放送 (BSジャパン6月4日(木)放送)

第9回 江戸切子の店 華硝

2015年5月30日(土)放送

(BSジャパン6月4日(木)放送)

洞爺湖サミットの国賓にプレゼントされたワイングラス。実は、東京都江東区亀戸の小さな工房、華硝の作品だった。わずか9人の下町の工房で生み出された世界の一級品、その秘密を切り撮るのが、東京の築地で生まれ育ったカメラマン土屋勝義。彼は下町をフィールドにポートレート作品を中心に撮影しているカメラマンだ。

工房を訪れた土屋が驚いたのは、職人たちの若さ。一人前になるのに15年以上かかるのが当たり前の硝子職人の世界で、20代が中心の社員たちの姿に圧倒される。さらに作っているのは、有田焼とコラボした電化製品やお皿など、グラス一辺倒と思われていた江戸切子の製品に風穴をあける斬新なもの。ほとんどが若手でなぜ可能だったのか。

前身の熊倉硝子工芸の創業は1946年、当時は大手硝子メーカーの下請け中心だった。バブル崩壊後の1991年、2代目社長が下請けからの脱却を決断。工房兼店舗の「江戸切子の店 華硝」を設立した。しかし、当時は一日にひとつ売れたらいいほうだったという。だが、元々デザイン力と技術に自信を持っていた2代目はぶれなかった。伝統ある江戸切子の世界をこれまでにない製品として売り出し、これが話題になって一気に業績を伸ばした。

同時に、今までひとつの作品をひとりでつくる職人のやり方を見直し、作業の難易度に応じた分業制を導入。これが若手の経験値をあげる結果を生んだ。作業の効率化と若手成長のスピードアップの両方につながったのだ。さらに、ある程度の経験を積んだ若手には、次々と新たな課題を与え、スキルアップにつなげていく。取材した日も2年目の新人が切子のグラス作りに挑戦していた。先輩から厳しい叱咤激励を受けながらの初めての挑戦。果たして結果は?

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江戸切子の店 華硝 (東京都江東区)
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第8回 幸和ピンセット工業 2015年5月23日(土)放送 (BSジャパン5月28日(木)放送)

第8回 幸和ピンセット工業

2015年5月23日(土)放送

(BSジャパン5月28日(木)放送)

ポートレート写真の大御所・山岸伸が初登場。取材するのはピンセットしか作っていない町工場。しかし、幸和ピンセット工業は侮れない。絶対に真似できない匠の技術は医療、美容、学術など様々なジャンルで他社の追随を一切許さず、世界からも注目されている企業なのだ。

海外からそっくりの商品は出ても決して同じものは作れない秘密は、最後の職人仕上げ。重さ、フィット感、絶妙な力加減で挟めるため細かい仕事はこのピンセットでないとダメなのである。今や細かい操作が必要な睫毛エステなどでも引っ張りだこ。大学の研究室で使われているのは、なんと顕微鏡で覗かないとはっきり見えないミジンコをつまむものまであるという。この微細な仕事をフォトグラファー山岸伸はどう切り取るのか!?

幸和ピンセット工業の設立は1952年。バブル崩壊、安い海外製品の台頭など幾多のピンチもピンセットの品質に拘って生き残ってきた。2008年のリーマンショックでは売り上げが7割も減った。2011年2月には創業者で父の会長が亡くなり2代目社長の精神的支柱がなくなった。それでも「職人の名に恥じないものをつくれ、王道に勝る近道なし」という先代の言葉だけを支えに食いつないできたという。

転機は父の死から1か月後に訪れる。東日本大震災が起きたのだった。「ギリギリのところで命をつないでいる人たちがいる。その人たちを救うための道具づくりはやめてはいけない。」腹を括った町工場は逞しかった。困っている現場を救うために小ロットでも受注する。この姿勢が数々のオンリーワン商品を生み出していく。ナレーションを読むキムラ緑子が思わずもらい泣きするほど、波乱万丈、感動のドキュメントとなった。

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幸和ピンセット工業 (東京都葛飾区)
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第7回 市岡製菓 2015年5月16日(土)放送 (BSジャパン5月21日(木)放送)

第7回 市岡製菓

2015年5月16日(土)放送

(BSジャパン5月21日(木)放送)

女性社員の数が全体の三分の二、女子力の活用で地域に活力を与える菓子メーカー・市岡製菓が徳島県小松島市にある。元々、菓子メーカーは女性が多いのが特徴だが、これほど多いのも珍しい。

女子が定着する秘密は社長が提唱する家族型経営にある。社員、一人一人の家庭の事情やキャリアップに配慮した対話式の人事をきめ細かく行っていることで働きやすい職場を作ったのだ。産休・育休後も場合によっては一人のために新しい部署まで作ったりする。「中小企業だからできること。途中でやめられたらもったいないから」と市岡社長は言う。

しかし、大卒1期生の女子社員が入社した頃、営業担当の彼女に得意先から「なんだ女をよこして」と言われるなど苦労もあった。そのとき社長は「嫌なとこには行かなくてもいい。そのうち担当者が変わるから」とアドバイスしたという。まるで家族のように親身になって社員を大切にする姿勢が女子たちのやる気に火をつける。

地元の老舗和菓子屋の経営難から救うために、会社を有償で譲り受け、観光型の買って・見て・楽しめる工場を新人女子社員リーダーが成功させる。さらに、鳴門金時や木頭ゆず、阿波やまももなどの地元の特産品にこだわって次々とヒット菓子を開発。農・商・工も連携の6次産業を牽引する形となった。

今回、徳島駅前に2月に開店したタルト専門ショップの名物メニューをつくるため、女子たちが動いた。目をつけたのが離島の伊島、自動車が走らない島には排ガスを吸っていないよもぎがあった。洋菓子にあまり使われないよもぎの風味を活かしたタルトづくりに奔走する女子たちの奮闘ぶりを追った。

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市岡製菓 (徳島県小松島市)
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第6回 木村飲料 2015年5月9日(土)放送 (BSジャパン5月14日(木)放送)

第6回 木村飲料

2015年5月9日(土)放送

(BSジャパン5月14日(木)放送)

60年前に町のラムネ屋として出発、同業他社が姿を消す中で右肩上がりの成長を続け生き残って来た飲料メーカーが静岡県にあった。強みは“我が道を行く”独自路線。その会社を技のデパートと呼ばれナイキやキリンビールなどのコピーで一世を風靡した神谷幸之助がどう描くのか?

1953年創業の木村飲料は、大手飲料メーカーのOEMを主な収入源として来た。県内で40社ほどあった同業他社が次々と姿を消す中、しぶとく生き残ってきた。秘密は、売れなくても挑戦し続けたオリジナリティ溢れる自社ブランド商品の開発。

2005年の「必勝合格!ダルマサイダー」のヒットで一躍その路線を確立させた。この商品、中身は普通のサイダー、しかし、原材料やパッケージをすべて神社で祈祷してもらい祈祷済みとうたった所、その遊び心が受けて全国飲料ランキング16位に躍り出る。以降、毎月1本のペースで面白飲料を次々と発売、ボツになったアイデアを含め300種類以上の味を作ってきた。

ヒットした!?代表作は、カレー味、わさび味、ウコン味など想像もつかない味のラムネ。さらに芋焼酎のようなパッケージの「芋サイダー伊三郎」。取材した日には、味噌サイダー、冷やし甘酒サイダーなどを開発したという。何故、大手だと歯牙にもかけられないアイデアが次々と採用されるのか?「美味しくないものをつくるのも戦略。何をやってもいい、致命傷でなければ失敗してもいい。小さく生み出してだんだん大きく育てていけばいい」社長の考えが自由な社風を作っているのだ。

この社長、サイダーの宣伝のため自ら歌を作詞作曲、自分で歌ってCDの発売までしたという。そのタイトルは「サイダーマン」。300枚プレスして100枚売れ残っているが・・・。「迷ったら面白い方へ行こうというのが木村飲料の本質」という神谷さんが、最後に考え出したコピーは、これまたひねりが効いた抱腹絶倒のコピー!?

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木村飲料 (静岡県島田市)
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第5回 齋栄織物 2015年5月2日(土)放送 (BSジャパン5月7日(木)放送)

第5回 齋栄織物

2015年5月2日(土)放送

(BSジャパン5月7日(木)放送)

2012年デザイナー桂由美が世界を驚かせるドレスを発表した。それは世界一軽くて薄いウェディングドレス。生地を作ったのは福島県川俣町の社員17人の中小企業「斎栄織物」。

ただでさえ切れやすい絹糸、しかもこのドレスに使われたのは髪の毛の6分の一という極細の生糸だった。織物は「妖精の羽」と呼ばれファッション業界から一躍注目を集めることになったのだ。そもそも、川俣町は絹織物の一大集積地だった。しかし、安い海外製の繊維に押されて衰退。かつて織物を生業とする会社は250ほどあったが、70年代には40社に激減する。

そこで齊栄織物は、世界が真似できない独自の商品開発を試みた。その結果誕生したのが「妖精の羽」だった。極細の糸で生地を織るのを可能にするため、数年かかって独自の部品も作り出した。しかも、手作業に頼るのではなく機械での生産を可能にした為、客からの多様なニーズに応えられるようになったのだ。功績が認められ2012年には「ものづくり日本大賞」で「内閣総理大臣賞」を受賞。この技術力に目をつけた大手寝具メーカーも、新商品に取り入れる可能性を探って工場を視察しにやってきたほど。

新しいことにチャレンジしないと衰退する。社長が考える次の一手は・・・。シルクの弱点、伸びない、洗濯機で洗えない、シワになりやすいという弱点を克服した絹織物。誕生すれば世界初の画期的絹織物となるのは間違いない。取材するのは女性を撮るのに定評のある写真家のyOU。古い業界に新風を吹き込もうとするこの会社に夢を織る人「夢織人」のイメージを重ねた。

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齋栄織物 (福島県川俣町)
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第4回 ミカフェート 2015年4月25日(土)放送 (BSジャパン4月30日(木)放送)

第4回 ミカフェート

2015年4月25日(土)放送

(BSジャパン4月30日(木)放送)

「本当に美味しいホンモノのコーヒーの美味しさを知ってもらいたい」東京・六本木に本社兼店舗を構えるミカフェートの川島良彰社長は、会社を起こした理由を話してくれた。実は、この川島社長、業界では知らない人はいないほど腕利きのコーヒーハンターだ。川島社長はUCC(上島珈琲)在職時代、世界のコーヒー畑を訪問、実際に味見し選定する仕事に就いていた。美味しいコーヒーを求めて1年のほとんどを海外で過ごしていたことから、コーヒーハンターの異名がついたという。

今回、取材するのは、コピーライターの東秀紀さん。トヨタ自動車のエコプロジェクト「あしたのために、いまやろう」など、メッセージ性の強い広告を数多く手掛けてきました。ミカフェート本社を訪れた東さんが驚いたのは、ワインセラー並みに整備されたコーヒーセラーの存在。ここに集められた世界各地のコーヒー豆は、酸化を防ぐため、窒素を注入して酸素を抜いたペットボトルで一元管理。さらに鮮度を保つ為、厳格に温度管理されている。さらに、シャンパンボトルに入った200gで2万2千円のコーヒー豆を発見。高額なプレミアムコーヒーほど早く売れるのだそうだ。店で出している人気のコーヒーもまたゴージャスで、1ポット2000円。それでもコーヒー好きは飲みにきてくれるという。

ミカフェートは直営のカフェ経営のほか、豆の販売、契約店への販売も行っている。JALの機内サービス用のコーヒーや銀座の高級百貨店のカフェ、ファストフードのコーヒーサーバーにも様々な価格帯の豆をブレンドして出している。価格以上の納得感のある味を提供するため、1店舗1店舗の味の管理も同時に任されているのだ。

しかし、ミカフェートの歴史は決して順風満帆ではなかった。2008年6月に会社を設立した直後にリーマンショック。誰も高いコーヒーには見向きもしなかった。それでもホンモノの美味しいコーヒーは受け入れられるはずと信じて耐えた。結果、ファンが続々と増え、現在右肩上がりの成長を成し遂げるまでになったのだ。

だが、ミカフェートの豆やコーヒーを扱う店が増えてくるにつれ、今度は新たな悩みが。川島社長の業績やカリスマ性だけでは品質管理が難しくなってきたのだ。22人の社員は第2の川島を目指して、社長がいなくても自分たちでホンモノの美味しさを届けられる体制をひくために動き出した。

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ミカフェート (東京都)
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第3回 北海製作所・北海鐵工所 2015年4月18日(土)放送 (BSジャパン4月23日(木)放送)

第3回 北海製作所・北海鐵工所

2015年4月18日(土)放送

(BSジャパン4月23日(木)放送)

神戸市長田区、新長田駅前に18mの実物大鉄人28号の立像がある。作ったのは岸和田市の北海製作所。北海グループの中核、北海鉄工所の特殊成形部門として分離した会社だ。鉄人以外も大型テーマパークのモニュメントなど、複雑な金属加工を得意にしている。

「ゆめをかたちにする」創業者の思いを実現する会社だ。鉄人の丸みを帯びた躍動感を作り出すのは、北海グループの主要部門、北海鉄工所の鏡板(かがみいた)で培った技術。鏡板とはビール工場のタンクやタンクローリーの前後の丸みを帯びた部分。圧力容器の蓋としてありとあらゆるところで使われている。

このグループのすごいところは金型から治具にいたるまで、すべて自前で作ってしまうところ。鏡板の専業メーカーでありながら、難しい注文も喜んで引き受けるチャレンジスピリッツにあふれているのだ。

課題は後継者の育成。60歳を超えるベテラン職人が、ほぼマンツーマンで若者に教えていくが、これがなかなか難しい。番組ではベテラン技師に鍛えられる若手の二人三脚に密着、ミリ単位の精度が求められる作業に先輩の愛情のこもった指導、弟子の緊張などを伝えていく。

今回のクリエーターは京都在住の美術家・山口和也さん。写真、現代絵画、造形などマルチにこなす芸術家。最初は工場の機械に圧倒されていたが、次第にそこで働く人の魅力に引き込まれていく。

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北海製作所・北海鐵工所 (大阪府岸和田市)
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第2回 セラリカNODA 2015年4月11日(土)放送 (BSジャパン4月16日(木)放送)

第2回 セラリカNODA

2015年4月11日(土)放送

(BSジャパン4月16日(木)放送)

植物や昆虫といった天然の成分を使った蝋製品の会社。ロウ=ワックス、ワックスはコーティングに用いられているが、製品の用途は多岐に及び、化粧品、食品から建材に及ぶまで多岐に及ぶ。ワックスは石油などからも作られるが、セラリカNODAでは創業以来天然成分にこだわり続けている。

創業は1832年(天保3年)。当時から主に整髪料などに使われていたという。しかし、1960年代液体の整髪料が登場すると衰退、次に主力となったのはコピー機のトナー。その後、コーティング剤として多岐の用途に答えられる製品開発で業績をあげるが、中国進出の失敗、社長が大病を患うなどの危機が訪れる。ワンマン経営で会社を導いてきた野田泰三社長だったが、これが仇となり中堅、ベテランの従業員たちが次々に会社を去っていった。

ワンマンではいけない。社長は若手中心の経営に方針を切りかえた。もとより従業員27人中、14人が10代、20代の若手。早急に彼らを成長させなくてはいけない。そのために撮った策は年齢、学歴不問の大胆人事。大学院卒の理系研究員が多い職場で24歳の高卒従業員を製造チームリーダーに抜擢。さらに、研究職員に営業、総務、経理といった畑違いの仕事を兼務させる一人数役の事例を出した。

複数の仕事をさせることでそれぞれに会社の事業の全容を掴ませようという狙いだ。天然由来の食べられる体に優しいロウ(ワックス)をつくってきたセラリカは、シックハウス対策となるコーティング剤などを主力に変えつつ、若手従業員中心の経営に舵を大きくきり今まさに変わろうとしている。取材したyOUはその会社の若々しさに希望の光を見出したという。

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セラリカNODA (神奈川県愛甲郡)
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第1回 村田発條 2015年4月4日(土)放送 (BSジャパン4月9日(木)放送)

第1回 村田発條

2015年4月4日(土)放送

(BSジャパン4月9日(木)放送)

自動車1台に使われるバネの数は約4000個。板バネからコイル状のスプリングまで、そのほとんどを網羅するバネのトップ企業の一つ。とりわけ日本の物流を担う大型トラックのエンジンバルブのバネの生産はほぼ100%で国内トップだ。

村田発條は1913年(大正2年)金物店として創業。第2次大戦で焼失した東京工場から栃木県へ移転し、バネの生産を始める。高度経済成長の波に乗り一時は約500人の社員を雇用する会社へと成長した。しかし、2度のオイルショック、リーマンショックで、売り上げが約40%落ち込んだ。その危機を救ったのが困難と言われていた卵型断面の線材を使ったバネの開発だった。

これまでの断面が円形の線材に比べて、耐久性、反発力が増した上、省スペース軽量化を計れたという。世界で初めて製品化に成功したこのバネが自動車メーカーの目に止まり一躍トップ企業に躍り出た。パリダカールラリーで優勝した三菱自動車工業のパジェロに採用され、その優秀さが実証された。

しかし、村田発條にも問題はあった。それは幾多の危機を乗り越えた中小企業につきものの年齢構成のいびつさ。危機を迎えた時は採用を控えざるを得なかったからだ。今、村田発條が熱心に取り組んでいるのは若手社員の育成と技術の継承。

素材が違うと機械の設定も細かく変えなければならず、毎回、同じ品質を保つのはかなりの熟練工でも難しい。若手とベテラン2人三脚で必死にノウハウを伝える姿勢にこの会社の将来の光明が見えた。若手社員の多くは「バネを作る先輩たちは格好良い」という。今回、取材した写真家の浅田政志さんは、バネが社員の結束と夢を束ねる接着剤と見た。彼は最後にもらったバネを並べてみて、「家族のように見えるようになった」という。

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村田発條 (栃木県宇都宮市)
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