●ハイランドへ
ハイランドに向かう途中の村で、バグパイプのグループに出会った。
村の小学校の創業記念日の式典を祝うそうだ。

ハイランド

●グレンコー
ハイランド南西部の谷。イギリス屈指の雄大で荒涼たる風景が広がり、「ハリーポッター」のロケ地としても知られる。

20歳になったメンデルスゾーンは、3年間イギリス、スイス、フランス
などヨーロッパ各地への旅に明け暮れた。美しい景色と様々な人々との出会いが輝きをもたらし、この旅を通じて多くのことを学び成長する。数々の名曲を生んだ、「大紀行時代」といわれた。
最初に訪れたのは、イギリス・スコットランド。中心都市、エディンバラにあるエディンバラ城は今なお中世都市の趣が残る。

● エディンバラ城
聖マーガレット礼拝堂  場内に残される最古の建物で12世紀に作られた。

エディンバラ城

● ホーリールードハウス宮殿
ホーリールード大修道院のゲストハウスとして12世紀に建設。その後、スコットランド国王夫妻の住居として使用された。
メンデルスゾーンはここでスコットランド女王、メアリー・スチュアートに思いを巡らせた。美貌と知性、優雅な暮らし、陰謀と裏切り、そして非業の死。美しくも退廃的な生涯を送った女王は彼を魅了した。

< ホーリールード修道院跡>
宮殿の横に廃墟となった修道院跡がある。15世紀から多くの戴冠式や結婚式などが開かれた。18世紀に大暴風で大きな被害を受け、それ以来廃墟となったが、ここからメンデルスゾーンの代表作のひとつ交響曲「スコットランド」が誕生する。

ホーリールード大修道院跡

● エディンバラ マイルロード
 エディンバラ城から東に伸びる道、マイルロードを散策。

スイスアルプスを代表するアイガーやユングフラウの山々が控える

山口さんはロープウェイと登山列車に乗ってミューレンに向かうが、途中息を呑むような景観が広がる。

インターラーケン

メンデルスゾーンは優れた画家でもあった。その絵は記録を書きとどめるかのように綿密に書きとどめられている。インターラーケンの郊外にメンデルスゾーンの家が保存されている。その遺品のなかに「アルプス3山」が残されていた。

メンデルスゾーンは「どこの国とも比較できない。全ての物が美しい」と
スイスの魅力にとりつかれた。メンデルスゾーンは優れた画家でもあった。
アルプスを望む事が出来るリゾート地のインターラーケンや湖が美しいルツェルンを何度か訪れ、水彩画を数多く書き残している。

● ルツェルン
 
<カペル橋>
14世紀に作られた屋根付き木造の橋。敵から守る城壁の一部で、八角形の見張り台とともに、ルツェルンのシンボルとなっている。

カペル橋

<観光船>
ルツェルン湖の観光船で、ルツェルン音楽祭のプロデューサー、山口さんと親日家のミヒャエル・ヘフリガーさんがメンデルスゾーンの魅力を語り合う。

文豪ゲーテが人生の大半をすごした古都ワイマール。
「ウイリアム・テル」を書いたシラーや音楽家リストの家なども残された
文化の香り高き町である。1919年には諸外国の憲法の模範にもなった
「ワイマール憲法」を制定した街としても世界的に有名である。
今もなお中世の雰囲気を漂わし、自由で文化都市の風情をもたらす
ワイマールの町を訪ねた

<ゲーテ・ハウス>
市の中心部には、ゲーテが住んでいた家がほぼ当時に近い状態で
残されている。「ファウスト」など数々の名作を書いた書斎や寝室、そして美しい庭などを今も多くの人が訪れている。メンデルゾーンがゲーテを最初に訪ねたのは7歳のとき。この時ゲーテ67歳。次にメンデルスゾーンは12歳のとき、ゲーテの前でピアノを演奏すると、「まるで奇跡のようだ」とゲーテは感動したという。
ゲーテは「旅の人」といわれるほど旅行に出かけ、メンデルスゾーンに旅の素晴らしさを教えた。これがメンデルスゾーンの後の大旅行につながっていく。

ゲーテハウス

1811年 メンデルスゾーン一家はハンブルグからベルリンに移住。銀行家だった父親アブラハムの才覚でたちまち富裕階級の一角を占めるようになった。メンデルスゾーンはここですくすくと育ち、ピアノと音楽だけでなく語学、絵画、ダンスなどに才能を発揮したという。

● メンデルスゾーンセンター
メンデルスゾーン一家の偉業を称えようとして、銀行などが資金を出し合って2004年に設立。メンデルスゾーンの祖父、父親、姉ファニーのたくさんの資料が展示、紹介されている。

メンデルスセンター

● ベルリン時代の邸宅
メンデルソーン16歳の夏、ベルリン郊外にある国王が持つ広大な庭園の一部の家に移った。土地の広さ1万2000坪という敷地で、ここで定期的に日曜コンサートが開かれ、この時期16歳の彼の音楽才能は急速に進歩したという。現在は連邦議会の建物になっており、その一角にメンデルスゾーンの資料館が設けられている。

● ゴーリキ・シアター
 ベルリンの劇場「ゴーリキ・シアター」。かつては「ベルリン・ジングアカデミー」があったところで、20歳前のメンデルスゾーンはここを舞台に活動した。メンデルスゾーンはここで、今もなおクラシック音楽史上燦然と輝く偉業を成し遂げる。それが、
バッハの「マタイ受難曲」の復活上演である。

ゴーリキシアター

● ブランデンブルグ門
メンデルスゾーン一家が移住する20年前に建設され、激動するドイツの歴史の渦を
象徴する建造物である。1960年に「ベルリンの壁」が建設されると門の前を壁が通り、門は通行できなくなった。1989年にベルリン壁が崩壊すると、再び通行できるようになり、周囲にはホテルや大使館などが再建され、今ではベルリンを代表する観光地となっている。

ブランデンブルグ門

● ベルリンの壁
 現在から20年前の1989年11月に東西ベルリン市民によって取り壊された。壁の総延長は150キロにも及んだが、崩壊後も歴史的な建造物という事で一部が保存されている。

ベルリンの壁

メンデルスゾーンは1835年、26歳の時にライプツィヒ、ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となる。ライプツィヒに来たメンデルスゾーンは、ゲーテやバッハが過ごした自由な雰囲気があるこの街がたちまち気に入り、晩年ここで暮らし、生涯を閉じる。
 生誕200年を迎えた今年、街は8月から9月にかけてのひと月「メンデルスゾーン音楽祭2009」で湧いていた。山口智子はこの街でメンデルゾーンの様々なゆかりの地を訪れるとともに、メンデルスゾーンを愛する指揮者、関係者らと出逢う。

● 1万人の野外コンサート
 8月29日、アウグスト広場で、音楽祭のオープニング・プログラム、ゲヴァントハウス管弦楽団の野外コンサートが催された。指揮者はライプツィヒ音楽界を代表する、リッカルド・シャイー。この楽団はメンデルスゾーンがドイツを代表するオーケストラに育てた市民楽団だ。

● メンデルスゾーンハウス
 メンデルスゾーンが晩年の3年間過ごした館。取り壊しの運命だったのを指揮者、クルト・マズーア氏の呼びかけで内外の支援が寄せられ保存、中でも日本からの支援が大きかった。音楽サロンの床は当時のまま、今でも毎週日曜コンサートが開かれている。

メンデルスゾーンハウス

● ライプツィヒ音楽演劇大学(旧ライプツィヒ音楽院)
 1843年にメンデルスゾーンが開校した音楽学校。世界各国から留学生が集まり、奨学金制度も設けられた。日本からの第1号は「荒城の月」の滝廉太郎。今も数名の日本人留学生が学んでいる。

● ゲヴァントハウス
 ゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地。今年の音楽祭の期間中、ここを中心にメンデルスゾーンの生誕200年を祝う演奏会が華やかに開催された。
ケヴァントハウス

● 聖ニコライ教会
 12世紀に建てられた歴史ある教会東ドイツ時代だった1989年祈りの集会が自由と民衆化要求のデモとなりベルリンの壁崩壊へと向かった。ドイツ統一への道を開いた教会として一躍世界に知れ渡った。