1949年に東北文協平劇工作団成立、後に遼寧京劇団となり、1959年瀋陽京劇団と合併して瀋陽京劇院となった。劇院の各行当(役柄)は充実しており、特色あるそれぞれの流派を形成している“南の麒派、北の馬派、関外(東北地方を指す)は唐派”大御所、中堅の俳優を擁している。若手の育成のために外部の名優を招聘するなど芸術の継承にも重点を置いている。これらの人材は文武両道に優れ芸術的力量も確かで、独特の風格があり、全国、省内のコンクールで数多く受賞している。中でも今回木蘭を演じる李静文は“武旦(ウータン)の皇后”と称され、全国京劇テレビコンクールで優秀演技賞、京劇界の最高栄誉である梅花賞を受賞している。劇院はこれまでヨーロッパ十数カ国で公演し、東南アジア、アメリカ、韓国、日本などの国々でも大変歓迎され高い評価を得た。

南北朝時代。北魏(ほくぎ)の北の国境を柔然(じゅうぜん)に攻められ苦しめられていた。たび重なる侵略に消耗する兵士を補充するため、北魏は一家に1人男子を徴兵する。しかし、老人と子供しかいない家はどうすることもできない。その家の娘、武勇に秀でたムーランのものがたりを描いた「木蘭辞」は、1500年間におよんで詠い継がれ、現在も教科書に掲載されるなどして誰もが知る詩であり、木蘭は中国全土に愛されるヒロインである。

花木蘭(ホア・ムーラン)は機織りをしている。外では徴兵の声が飛び交う。木蘭の父・花弧(ホア・フー)は年老いて退役しており、兵に出られる男子がいない。腕に覚えのある木蘭は男子に変装して出征しようと決意する。

馬飼いの張善(ジャン・シャン)が馬を売り払って出征しようと市に出ていた。木蘭は孟鉄剛(モン・ティエガン)という青年と同じ馬を求めようとするが、先に馬に乗った孟鉄剛は金を払って去った。木蘭は別の馬を譲り受け、父の守り刀を授けられ、母に別れを告げて出征する。

戦場へ向かう途中、木蘭は孟鉄剛や張善ら志願兵と出会う。勇み進むと魏軍の元帥賀廷玉(ホー・ティンユー)が柔然(じゅうぜん)王に追い詰められている。木蘭たちは参戦して元帥を窮地から救い、本営へといざなわれる。

戦況が思わしくない柔然の陣営に虎烈児(フーリエアル)が率いる援軍が到着し、兵糧も充実して士気が上がる。

長きに亘り辺境を守ってきたが戦況は動かない。怪力虎烈児には誰を当てるべきか。――魏の陣営での軍議の最中を、虎烈児が襲う。賀廷玉は孟鉄剛に先行させ、木蘭を後続させた。
魏軍、柔然軍が激突する。虎烈児が孟鉄剛の馬に斬りつけ、鉄剛は御しきれなくなる。助太刀した木蘭は左腕に矢を受けてしまう。木蘭は傷を負ったことを秘密にするよう鉄剛に言い含めた。

鉄剛は木蘭を見舞う。二人は意気投合して義兄弟の契りを結び、木蘭は大切な守り刀を鉄剛に贈った。そこへ賀元帥がやってくる。木蘭は張善を敵陣に送る策略を進言し、容れられる。

柔然王の陣営に捕らわれた張善は、魏軍の内情を話すから故郷へ帰らせてくれるよう泣きつく。最初は不審がっていた柔然王であったが、勝機を得たりと闇討ちを仕掛けることにする。

柔然王は張善の案内で、魏の陣営へ。突然伏兵が柔然軍を取り囲み、迷走する柔然王らの前に兵を率いた木蘭が立ちはだかった。魏軍は大勝する。

朝廷は功臣たちに高い官位を授けた。花木蘭は尚書郎に取り立てられたが辞退して父母の待つ故郷に帰ってしまった。

木蘭の凱旋を祝い賑わう花家を兵部尚書となった賀廷玉と孟鉄剛が訪ねる。鉄剛は、尚書の娘と木蘭の仲人役を買って出るのだが……。