かつてのユ医院を整備し、診療を始めたジュンのもとには多くの患者が訪れる。その頃、都では「東医宝鑑」の筆写本が出回り、間違った処方を受けた民が苦しみ恵民署に押し寄せていた。一時は医書の刊行が危ぶまれるが、筆写の際の誤記がもととわかり無事に刊行が決まる。山陰では凶作から餓死者が増え、遺体を見たジュンは疫病と判断する。 ジュンは窮状をソン大監に訴え、それを受けて王は内医院の医官を山陰に派遣し、民には米を配るよう指示。不眠不休で疫病と格闘するジュンは自身の感染に気づくが、間もなく薬が不足し、自分の薬を患者に分け与える。やがて、疫病は終息。宴が開かれ、人々が喜びに包まれる中でジュンは患者に鍼を打ちながら静かに息を引き取るのだった。