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大阪のシンボルとして親しまれている『大阪城』。でも、機械のない時代にどうやって大きな石を運んだり、石垣を高く積み上げたりしたのだろう?
今回は、知ってるようで知らない『大阪城』のヒミツに迫るよ!
-Qっとくんが理解したこと- |
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(1) |
石垣に使われる石は、節目(ふしめ)という割れやすい部分に穴を開け、そこに矢を打ち込むことで切り出し、形を整えられたのだ。
大阪城に使われている石は、表面に見えているものだけでも50万個ほどあるが、その多くは瀬戸内海地方から運ばれている。人間が担げないような大きな石は、丸太を下に入れ、大勢の人で引っ張って運んだのである。 |
(2) |
機械のない時代に、高さ25mもの石垣をどのようにして積み上げたのか。
石を積んだら同じ高さまで坂道を作る。そして坂を登ってまた石を積む。
この繰り返しで石を積み上げたわけだが、石垣の内側に作られた坂は、完成後に取り除かなくてもよいのである。 |
(3) |
石垣が反り返っているのは、単に登りにくくするためだけではない。
上からの重力によって、外へくずれようとする力が働くが、石垣が内側へ反り返っていることによって、その力にたえることができるのだ。
また、角の部分は、石が互い違いになるように積み上げられている。
この『算木積み(さんぎつみ)』という積み方をすることで、横から力が加わっても簡単にはくずれないようになっているのだ。 |
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-プラスあるふぁ- |
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石垣の積み方や、石の形なども、時代とともに発展している。大阪城の場合、第三期工事で積まれた南外堀の石垣と、その他の第一期工事で積まれた石垣を見比べれば違いがわかる。そもそも戦国時代よりも前は、石垣ではなく土を積み上げただけの城が主流であり、瀬戸内海から遠かった東日本では、西日本よりも石垣の普及が遅れていたと考えられている。 |
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