ドキュメンタリー7

毎月最終土曜  午前11時放送

第27回

最終章のラブレター
~石川さゆり新曲秘話~

2025年5月31日放送

歌謡界を代表する歌手の一人、石川さゆりさん。紅白歌合戦でも紅組で最多出場という彼女の新曲「棉(わた)の花」は、大阪に深いゆかりのある唄です。曲名にある「棉」とは、大阪府東部の河内地方で生産される「河内木綿」のこと。そして明治時代、河内木綿の現場で働く貧しい女性たちを想い、作られました。

かつて盛んだった河内木綿は、明治維新とともに安い外国産の綿が波のように押し寄せ、衰退の道をたどりました。 木綿づくりの仕事を失った女性たちは、生活を守るためにひたすら働き続け、苦しい日々をしいられました。

それでも純真な心を失わず、無垢で可憐な棉の花のように 懸命に生きたという切ない物語。棉の花が咲き始める夏を思って…作詞を手掛けたのは、浪花の作詞家、もず唱平さんでした。

名曲「釜ヶ崎人情」でデビューし、「花街の母」などを作詞、2024年には古賀政男さんや石原裕次郎さん、美空ひばりさんなどと同じく 「大衆音楽の殿堂入り」を果たします。ところが、体調不良を理由に2024年夏、引退宣言をし、筆を置いてしまいます。

音楽仲間もみんな逝ってしまい、終活も全て終えた。そんな中、「引退なんて聞いていません」と作詞を依頼したのが石川さゆりさんでした。石川さんに半ば押し切られる形で書いた詩を「作詞家人生最後の曲になるだろう」と話す、もずさん。一方の石川さんは、もずさんや作詞家たちから受け取る歌詞は「まるでラブレターのようだ」と答えます。

河内に60年以上暮らしてきた、もずさん。 力を入れたテーマは河内木綿と女性の人権。 河内木綿のふるさとに足を運び、現代までその文化を守り伝える女性たちと交流を重ねてきました。 種まきの現場にも顔を出し、花が咲く夏、また来ることを約束しました。

そして5月には、大阪・関西万博の会場を初めて訪問します。長年、名前のように「平和」を「唱える」 活動を続けてきたからこそ、紛争地のパビリオンを訪れ対話をしたかったといいます。終活も終えた今、願うことは…。

若葉の頃、河内で石川さゆりさんの新曲披露コンサートが開かれました。 そこで、もずさんと石川さんが再会。楽屋で2人の対談が始まったのです。