5世紀の終わり、石窟の建設に着手したのは、北方の遊牧民・鮮卑が打ち立てた王朝、北魏だった。中国北部を統一し、大同を都とした北魏は、かの「雲崗石窟」を作り上げたことでも知られる。北魏は漢民族を支配するにあたり、仏教を利用した。中でも最も篤く仏教を信仰したのが、全盛期の皇帝、孝文帝であった。この孝文帝の祖母は、漢族出身で、北魏王朝の実権を握った、文明大后。幼くして即位した孝文帝は、その薫陶を受けて育ち、漢族の風習、文化に大きく傾倒していった。そしてついに北方の大同から、中国の古都・洛陽へ遷都を決行する。これにより、北魏の石窟建設の舞台は、雲崗から龍門へと移った。女性でありながら大きな権力を握った、文明大后の影響が、雲崗と龍門には色濃く残されているのである。 |